武内宿禰と蘇我馬子

厩戸皇子と馬屋古女王と馬子(その3)の続き


妄想はさらに続く。


蘇我氏の祖は武内宿禰である。

第13代成務天皇と同年同日の生まれという。 第12代景行天皇の時に北陸・東国を視察して、蝦夷の征討を進言した。成務天皇3年に大臣となる。神功皇后朝鮮出兵を決定づけ、忍熊皇子らの反乱鎮圧にも功があった。第15代応神天皇の時、渡来人を率いて韓人池を造る。また、異母弟の甘美内宿禰から謀反の讒言を受けたが、探湯(くかたち)を行って濡れ衣を晴らした[1]。仁徳天皇50年が『書紀』に現われる最後。『公卿補任』『水鏡』は同天皇55年、『帝王編年記』所引一書は同天皇78年に薨じたといい、年齢についても280歳・295歳・306歳・312歳・360歳などの諸説がある。

武内宿禰 - Wikipedia


言うまでもなく280歳とか360歳とかいうのは現実にはありえない。これをどう解釈するかだが、ウィキペディアの「実在・非実在論」の後半に、

また、父子何代かが同じ名前をついだもの、あるいは個人ではなくある種の人間集団の事跡を1人の人物の事柄に仮託して描かれたものではないかとする仮説も唱えられている。

とある。俺は神話は神話として解釈すべきという立場だから、こういう合理的解釈は好まないのだが、武内宿禰に関してはそういうことも有り得るのではないかと思う。ただし当時の天皇の実在自体が疑われるので、神話的世界の中で複数の人(神)格が一つにまとめられているという意味で。


※ なお太古の人間が長命なのは日本に限ったことではないのであり、神話として考えればいいのであって無理に現実に合わせようとする必要などないのである。武内宿禰の場合は、その長命な太古の人に比べてもなお長命な点で際立っているのである(神功皇后は100歳)。


武内宿禰が「父子何代かが同じ名前をついだもの、あるいは個人ではなくある種の人間集団の事跡を1人の人物の事柄に仮託して描かれたもの」だとして、蘇我馬子はどうであろうか?


馬子もまた「父子何代かが同じ名前をついだもの、あるいは個人ではなくある種の人間集団の事跡を1人の人物の事柄に仮託して描かれたもの」だったりする可能性があったりするんじゃなかろうか?なんてね…


そのように考えてみた場合「蘇我馬子蘇我蝦夷」だって成り立つんじゃないか?もちろんこの場合の「蘇我馬子」とは一人の人物に仮託された複数の人物の集合体だということだ。ややこしいので整理すると、実在する蘇我一族を一個の人格にまとめた「蘇我馬子(または「駅子」エキシ)」という伝説的人物が最初にあって、それが後に「蘇我馬子」と「蘇我蝦夷」という二つの人格に分裂したんじゃないかってこと。


あまりに空想的すぎることは自分でもわかっているんだが…


さらに妄想を拡大すると、その「蘇我馬子」には蘇我の血を引く「厩戸皇子」も混じっているのではないかというところまで行き着くわけで、すなわち「厩戸皇子蘇我馬子(の一部)」であり、一人の実在する人物としての「厩戸皇子」の事跡と、複数の人格が一つになった「蘇我馬子」の事跡にはダブリがあるんじゃなかろうかなんてことも思ったりするわけで…


もう誰もついてこれないだろうけど。