敵と味方(その2)

ところで今話題の早川由紀夫教授について。


早川氏がネット民の間で有名になったのは「ニセ科学批判批判」であったろうと思う。俺もそれで氏の名前を知った。俺もまた「ニセ科学批判」を批判しているのであって、そういう意味では同類だ。しかし、当時早川氏が「ニセ科学批判」の側から批判されているのは知っていたけれど、早川氏を擁護する記事を書かなかった。なぜなら氏の「ニセ科学批判批判」にはなるほどと思えることも部分的にあるにはあったが全体としては俺の考えとは異なるものだったからだ。だったら逆に批判すれば良かったではないかって話だけれど、早川氏を批判する側とも意見を異にする立場の俺としては、単に批判するだけでは言いたいことが伝わらないだろうと思われ、伝わるように書くにはかなり神経を使わなければならないだろうけど、そこまでやるのは面倒くさいし、正直なところ所詮ニセ科学界隈では小者だろうから無視したって構わないだろと思っていたわけで、まさかここまで有名になるとは予想していなかったので、今思えば何か書いとけば良かったと後悔してる。まあ書いたからって俺の影響度など限りなくゼロなんだが…


そんなわけで、俺は早川氏をずっとヲチしていたわけではないので、一昨日から盛り上がっている件についても報道や最近のネット情報などのわずかな情報しか知らない。

群馬大学は、東京電力福島第一原発事故に絡んでインターネット上で不適切な発言を続けたとして、教育学部早川由紀夫教授(火山学)を7日付で訓告処分にした。

asahi.com(朝日新聞社):群馬大教授「福島の農家はオウム信者と同じ」 訓告処分 - 社会


で、この「不適切な発言」というのが何を指すのかが良くわからない。アサヒコムには、

福島県がやったコメのセシウム検査はすべて信用できない。利益相反が発生してる。第三者が検査しない限り福島県のコメは全部たべられない」

セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ」

「福島の農家のことなんかひとつも心配していない。彼らが滅びても私は何も困らない」

という三つの発言が引用されている。これは大学当局がそう認めたということだろうか?おそらくはそうではなくて、朝日新聞がこれが該当するんじゃないかと推測したということじゃあるまいか?大学当局はどれが「不適切な発言」に当るのか具体的に発表したのだろうか?ざっと調べたところではそこがわからない。発表はしてないけれど本人には具体的に伝えたのだろうか?それもわからない。


この問題は「表現の自由」に関わることであり、それについての議論もなされているようだけれど、具体的なことがわからないと、何を言ったら処罰されるのかわからないということになり、表現の自由を萎縮させることになりはしないだろうか?


ただし訓告には

インターネット上のツイッターにおける福島県の被災者や農家の人々に対する配慮を著しく欠く発言

とある。福島の農家をオウムにたとえるなどということは、少なくとも俺には表現の自由を守るためにはどうしても欠かせないものには思えない。


だが「セシウム検査はすべて信用できない」などという発言は科学的に正しくても間違っていても規制されるべきものではないように思われる。もちろん発言には責任が伴うものであるから、それによって損害が発生すれば賠償責任が生じるかもしれない。しかしそれを大学が規制するのは違うのではないかと思う。しかしそもそも大学がこの発言をもって訓告したという証拠もないと思われる。


そんなわけで、わかっている範囲で考えるなら、農家をオウムにたとえた発言などが今のところ俎上にのせるべきものではなかろうかと思う。


で、この発言についてだが、俺はひどい発言だと思う。


なぜなら、サリンが毒だというのは明確な事実だが米はそうではないからだ。もちろん早川先生におかれましては毒物なのだという認識なのだろうが、それは大多数が共有している認識ではない。オウムと同じだというからには、農家が毒物だと認識しているにもかかわらず米を作っているという根拠がなければならない。それを欠いているのでは不適切な発言だと認定されても当然だ。どこかにそれが書いてあるのだろうか?Twitterでは別の箇所でそれを書いていたとしても単独で伝わるからいずれにせよアウトだが。


(なお早川発言に対してサリン被害者は逃れようがないけれど米は買わないという選択ができるというような批判があるけれど、毒と知りつつ売る目的で作るのだったらオウムと同じと言われても仕方がない。しかしその根拠が提出されていないところが問題なんだと思う)



俺はこの発言はひどいと思う。ひどいとは思うが問題はその先だ。


相当の根拠があることなら、たとえそれが間違っていても言論の自由は守られなければならない。では根拠のない発言は守られなくても良いのか?もちろん批判はすればいい。しかし大学がそれを規制することは適切なのか?実のところ俺はそこが良くわからない。過去にそういう事例があって判決とか出てるのだろうか?


ここで大学の訓告に対する批判がなされていて人気記事になっている。
早川由紀夫群馬大教授に対する「訓告」に関しての渡邊先生のツイート - Togetter

早川先生の発言が「不適切」だったり「人権侵害」であれば,それが「それによって被害を受けた人」から糾弾されたり,実害があれば損害の賠償を求められたりすることは「言論の責任」としてしかたないことだと思います。

ただその責任は裁判など早川先生にも反論権のある場で追求されなければならない。大学が「大学への苦情」など「世論」のようなものだけを根拠に釈明の場も与えずに一方的に処分を行なうことは「大学というもの」のあり方からも認められません。

ただ、俺が知りたいのは、「するべき」とか「するべきでない」という話ではなくて「認められる」か「認められない」かということだ。すなわち、もし早川氏が訴えたらどっちが勝つかって話だ。


そこがわからない。


(なお「ヘイトスピーチ」に関しては今の日本の法律では名誉毀損で訴えるのは困難であるあと思われ、また業務妨害にしても現実的には難しいように思われる。よくわかんないけど)