盛者必衰の理

 こうした清盛=「悪いヤツ」は真実ではなく、後の時代が創作したものであるという見方がある。清盛=「悪いヤツ」は、誰にとって都合がいいのか。まず、なんと言っても平家から政権を奪った鎌倉幕府だ。繁栄を極めた平家が没落していくというイメージを強烈に植え付けたのは『平家物語』であるが、『平家物語』は鎌倉時代にできたものだ。その他の軍記物の『保元物語』や『平治物語』も鎌倉期にできた。当然のことながら、現政権に都合が悪いように書くことはできない。

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コテコテの陰謀論である。別に真魚さんを目の仇にしようというつもりは無く、たまたま目に入ったから取り上げたまでで、同じような主張をしている人は多い。専門家の中にだっているだろう。


しかし、俺はこうした陰謀論は安易に過ぎると思うのだ。ただ残念なことに俺は『平家物語』も『保元物語』も『平治物語』も部分的に読んだことがあるけれどちゃんと読んだことがない。したがって、これを否定するにはそれらをしっかり読み込まなければならない。それはすぐにできることではない。ただ、陰謀論を主張する側も、ここでこのように清盛を悪く書いているというように具体的に指摘してほしいとは思う。


基本的に思うのは、まず「悪く書いてなくても悪く受け止めることがあるだろう」ということ。すなわち読者の価値観の問題。個人の価値観の違いもあれば、時代を包み込む価値観の相違もあるだろう。


次に、清盛を聖人君子として書いてないのであれば、特に悪人として書いてなくても、悪いことも書いてあるだろうということ。清盛=悪の先行イメージがあればその部分だけ目立つということがあるのではないか。


そして、これが最も重要だと思うのだが「平家は現実に滅亡した」ということ。


滅亡したのには何らかの原因がある。それは現在でも通用する法則だ。


もちろん原因があるといっても、時代が変化したとかいった、当人の責任ではない場合も多い。ただ、昔の世界観では現在では当人の責任ではないと考えられていることも、当人の責任にされることが多い。たとえば日照りや水害などの天災でさえ為政者の徳の有無が原因とされたりする。天がその人の味方になっているうちは何事も上手く行くが、天が見放せば何をやっても上手く行かないという世界観みたいなものだ。見放す理由は天の気まぐれの場合もあるが、当人が成功の原因を自分だけのものとみなし天を恐れなくなったなんてものもある(ただし事実としてそうだったということではなく、そうだったと見做されるということだが)。


あるいは仏教的世界観では「前世の報い」なんてこともよく言われる。前世のことは当人の責任ではないなんてのは現代的考え方だろう。どこで見たのか忘れてしまったけれど、どう見ても善人なのに非業の死を遂げた人がいて、それは前世の宿縁なんだろうと書いてあるのを読んだ覚えがある。


とにかく「平家が滅亡した」という事実がある以上、滅亡の原因は平家にあるのであり、その原因と思われるものを書けば、すなわち「悪いヤツ」だったと書いたということになる。


だから悪く書かれているからといって、鎌倉幕府の都合の良いように書いたなんてことにはならないだろうと思うのだ。書いた人物はそんなつもりは毛頭無くて「世界の法則」に基づいて真実を書いているつもりなのかもしれないのだ。


今の歴史を見る目は、そういう視点を著しく欠いていて安易な陰謀論に走る傾向があると思っている。それも素人だけではなく学者までがそうなのだ。


ところで『平家物語』についてはさらに言いたいことがある。でも長くなったので一旦終了。


※ ところで

けれども、藤原道長には清盛のような悪人のイメージはない。

と書いてあるけれど果たしてそうだろうか?道長も十分悪人とされていように思うのだが。確かに現在ではそのイメージは薄れてきている。だがそれは清盛も同じだろう。