finalvent氏参戦きた。
⇒ブログはどこまで嘘をついていいのか: 極東ブログ
ところで上の記事とはほとんど関係なく、言語学に詳しいfinalvent氏なら知っているのではないかと思うのだが、リンクをクリックして「虚構新聞」の記事を見た「虚構新聞」を知らない人が「虚構新聞」というロゴを見て果たして嘘だと気付くだろうかという疑問。
「そんなの余程頭が悪くなければ気付くだろ」と普通考えてしまいがちだが、良く考えてみれば「虚構」+「新聞」で「虚構(の記事が書いてある)新聞」という理解が必ずしもできるわけではないようにも思う。「虚構(を暴く)新聞」というという理解も可能ではないか?
「そんなアホな」というなかれ。だったら「産経新聞」は「産業と経済について書いてある新聞」なのかという話。
でも「日本経済新聞」なら「経済について書いてある新聞」だとわかる?いやいや「経済」を「経済的」の意味で理解して「お買い得な新聞」って理解する人もいるんじゃないか?
「そんな奴おらんやろ?」
確かにいないだろう。でもそれは学習したからじゃないだろうか?その学習に要する期間がほんの一瞬だったから、初めからわかっていたように錯覚しているんじゃないだろうか?
人口知能に「虚構」と「新聞」という情報をインプットして、正しい解答を得られるだろうか?
なんてことを思ってみたり…
まあ、実際に騙された人はそんなことじゃなくて、見出しと短縮urlだけが貼られたツイートを見て即座に反応しちゃっただけのように見えるけれど(しかも「虚構新聞」のことほとんどの人が知ってるみたいだし)。
※ これはふと疑問に思っただけで、これで「虚構新聞」にいちゃもんをつけようということではないんでそこんとこよろしく
※ ただし「虚構新聞」と書いてあるから嘘だとわかるだろ的な話はちょっと違うんじゃないかとは思う。そうではなくて「虚構新聞」という聞いた事もないメディアが発する記事は信用していいものかと疑うべきだというのが正しいメディアリテラシーじゃなかろうか?
※ なお「虚構新聞」を知ってて、なおかつ「虚構新聞」の記事を見て、それでも騙される人というのはさすがにいないんじゃなかろうか?