毎日新聞余録 2012年05月18日

痛いニュース(ノ∀`) : 毎日新聞 「昔の日本人は皆入れ墨をしていたらしい。なら入れ墨の無い者は当時の役所をクビになったのか?」 - ライブドアブログ
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余録:「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面…− 毎日jp(毎日新聞)

 「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身す」とあるから、当時の日本人の男は大人も子供も顔や体に入れ墨をしていたらしい。

「男子は大小と無くを「男は大人も子供も」としてるけど「身分の大小に関係なく」って意味じゃないの?と疑問に思って検索してみたら、どっちの訳もあった。どうなんだろ?


「当時の日本人」というのはつっこむべきか?大目にみるべきか?

ならば入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか−−とは、むろん大阪市での職員への入れ墨調査を聞いて頭をよぎった妄想である。

「妄想である」というのがどうもしっくりこない。「頭をよぎった疑問である」じゃないの?


さて「入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか」だが、「皆黥面文身す」とあるからには「入れ墨のない者」がなぜ存在するのか?盾と矛か?


「皆」とは全てという意味ではないと解釈するとして、「クビになった」ということは「入れ墨のない者」は役人になることが可能だったことになる。「入れ墨のない」ことを理由としてクビにすることがあったのなら、なぜ入るときにはOKだったのだろうか?こっちも「市長」が変わったからとか?


あと「ならば」というのも何か変。入れ墨が「一人前の男子の証」とか「王への忠誠の証」とかだったら「ならば」になるだろうけれど、

水に潜って魚をとる海人が大魚の襲撃を防ぐまじないにしたのが、後に飾りとなった

で、何で「ならば」になるんだろう?


※ ところで刺青ネタやるんだったら小泉又次郎って格好の材料がありますよね。役人じゃないから除外したんだろうか?