おそらくは
⇒マジで「希望は、戦争」という時代: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
が発端なんだろうけれど、
⇒「なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか」から始まる会話。 - Togetter
⇒「なぜ、貧困層、社会的弱者ほど国家の戦争に熱狂するか」に対する専門家のコメント - Togetter
そもそも「貧困層、社会的弱者ほど戦争に熱狂する」という前提が正しいのか?って疑問がある。
で、最後の記事には
つまり、1914年8月のドイツにおける戦争への熱狂は、大都市のブルジョワ的諸集団に限定して見られる現象であって、労働者階級や農村住民らはそれに共鳴しなかったということが明らかになっているわけです(B. R. Kroener, Militär, Staat und Gesellschaft im 20. Jahrhundert (1890-1990), München 2011, S. 73)。
とある。これが全てのケースに当てはまるのかは知らないけれど。
思うに「強者は賛成するのが当然」であり「弱者は反対するのが当然」なはずなのに「必ずしもそうなっていない」みたいな脳内理論と現実との乖離が、こういう主張を生み出すんじゃないかと。「戦争」の代りに「消費税増税」とか「福祉削減」とかを入れても成り立つんじゃなかろうか?
(つまり「ほど」の正しい使い方は他の層との比較だが、「あるべき姿」との乖離具合が「ほど」と言わしめているんじゃないかと)
あと、 hamachan先生のところに書いてあることは、一見もっともらしいけれど、それらのことは「戦時体制」がありさえすれば達成できるのであって、実際に戦争をする必要はないんじゃないかと思うんだけどどうだろう?たとえば「軍隊は軍拡を望むけれど戦争は望んでいない」みたいな話は時々耳にするし。
あと、戦争はいつの時代も悲惨だとはいえ、近現代は武器の発達が著しかったから、被害の規模がどんどん拡大してたわけで、それまでの経験で予想してた被害と実際の被害が大きく違っていたってこともあるでしょうね。