それの元ネタは、中国の「史記」です。
前漢王朝の初代皇帝である高祖・劉邦が
天下統一の功臣の多くを粛清して、
その封土に劉氏一族を送り込みました。
結果、劉氏しか王になれなかったため、
「劉氏にあらずんば人にあらず」
と、その劉氏の誰かが放言したそうです。
⇒平家物語で、平時忠が「平家にあらずんば人にあらず」と言ったとありますが、これ... - Yahoo!知恵袋
というわけで検索してみた。
⇒"劉氏にあらずんば人にあらず" - Google 検索
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また、光武帝の架空の描写(ささいな部分だけど)追加したり、劉邦が「劉氏にあらずんば人にあらず」と言ったとか平家物語の記述を勘違いして批判していたり、一応歴史の本なのに、素人でもわかる史料の不備と勘違い、捏造まがいのことを無意識にしているので、歴史作家としては信頼性低い。
⇒田中芳樹とは (タナカヨシキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
⇒"劉氏にあらずんば人にあらず" "田中芳樹" - Google 検索
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紀元前二世紀、地球において中華帝国《チャイニーズ・エンパイア》の主となった劉邦《リュウ・パン》という男は、即位後、自らの一族の繁栄を誇り、「劉氏にあらずんば人にあらず」と言い放った。一四〇〇年ほど後には、隣国の権勢家が、この発言を模倣したということである。そしてタイタニアの初代たるネヴィルも、極盛期において、覇気もあらわに豪語したのであった。
「タイタニアにあらずんば人にあらず!」
だが、原文を見たいと思って、それっぽいキーワードで検索してみたがなかなか見つからない。
で、やっと見つけたのがこれ。
しかし高祖は自らの築いた王朝が無事に皇統に継承されるかを考慮し、反対勢力となり得る可能性のある韓信ら功臣の諸侯王を粛清、それに代わって自らの親族を諸侯王に付けることで「劉氏にあらざる者は王足るべからず」という体制を構築した。
「劉氏にあらざる者は王足るべからず」。そりゃ「人にあらず」じゃ見つからないわけだ。
ここまでくれば原文はすぐに見つかった。
漢書』巻四十 王陵伝
陵曰:「高皇帝刑白馬而盟曰:『非劉氏而王者、天下共撃之。』今王呂氏、非約也。」
で、これが「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」の元ネタだとして、『平家物語』のこの文の前後の文脈を考慮すれば「人にあらず」の意味も、「平家でない者は王者になれない」的な意味合いがあるのだろうと推測できるんじゃないかと思われる。