古文書の解読(その6)

次に「殊岡崎之城自其国就相押候、駿州ニも今橋被致本意候」について。


前半部分は既に書いた。これは『殊「岡崎之城自其国就相押候駿州」ニも今橋被致本意候』と読むのではないかということ。


だが、後半の「今橋被致本意候」が超難解だ。

駿州にも今橋にて本意を致され候、

川戦:安城合戦編④真・安城城陥落Ⅰ(再掲): Papathana's ブログ

駿河国にも今橋で本意を遂げられ

歴探 » 北条氏康、織田弾正忠の軍功を確認し今川氏との関係を伝える
と訳されている。


「今橋」とは三河国渥美郡今橋のこと。ここに吉田城がある。

天文15年(1546年)、牛窪城主(長山一色城主)の牧野保成の要請を請けて今川氏が戸田宣成を攻めて吉田城を陥落させ[3]、これを管理下に置いた。今川氏が直接支配に乗り出したことで東三河における最重要戦略拠点となった。

吉田城 (三河国) - Wikipedia


しかし「今橋被致本意候」とはどういう意味なのかが謎なのだ。


「本意」とは「本意を遂げる」の「本意」だろう。しかし誰の「本意」なのだ?


今川氏が吉田城を支配したことを指すなら今川氏の「本意」ということだろう。でもこれは織田信秀に宛てた書状だ。そこに今川氏が「本意」を遂げたと書かれているのも何か不自然な感じがする。そう感じるのは俺がド素人だからだろうか?


あと「ニも」が謎だ。信秀が安祥城を取り、今川が吉田城を取ったというのなら「にも」ではなくて「も」ではないだろうか?いや良くわからないけど。


一方「駿河国にも今橋で本意を遂げられ」だと信秀が本意を遂げたように読める。訳した人の真意はわからないけど。これなら「にも」に疑問はない。だが信秀が今橋(豊橋市)で本意を遂げる(致す)というのが軍事上のことだったら有り得ないように思われる。



ただし、



この場合の「本意」とは何かを考える必要がある。



というのは広忠の嫡子竹千代つまり家康が今川家の人質として駿府に送られるはずであったものが、奪われて織田信秀の元に送られたのが天文16年のことだからだ。


実行犯は戸田康光
戸田康光 - Wikipedia


今川が奪った吉田城は天文15年まで戸田宣成のものだった。吉田城が今川氏のものとなり、それより東は今川が実質的に支配していた。


駿府に向かう竹千代一行は吉田まで船で行き、そこから陸行しようとしていたらしい。


「今橋被致本意候」とは竹千代を奪ったことを言うのではなかろうか?