「静かに」と「気付かない」

だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。

麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨


天声人語」はこれを

▼次に、日本の改憲は騒々しい環境のなかで決めてほしくないと強調した。それから冒頭の言葉を口にした。素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう▼氏は「民主主義を否定するつもりはまったくない」と続けた。としても、憲法はいつの間にか変わっているくらいがいいという見解にうなずくことは到底できない

と解釈している。まず麻生氏の話は、どんなに良い憲法でも変質することが有り得るという話であって「改憲」の話ではなく「改憲後」の話である。


次に麻生氏が言っている「気づかない」とは、「気付く可能性はあったのに気付かなかった」という意味であり、ナチスのことを言っているのではなくて、国民のことを言っているのである。


このような誤解が生じるのは「静かに」と「気づかない」を同じ意味で受け取っているからだろう。


「静かに」とは「泥棒が物音を立てずにこっそりと盗みを働いたので家の住人が気づかない」というような意味ではない。


たとえば、学校の授業で「静かに」という場合は、先生が何を言っているのかをきちんと聞くための「静かに」だ。逆に教室が騒々しければ先生が大事な話をしていても気づくことができない。


すなわち、「静かに」と「気づかない」は同じ意味ではなく、正反対の意味である。喧噪の中だと気づかないから冷静にということだ。