大口真神原

Myth is Mystery Mazes. : 逆さ読み『風土記』逸文 大和国 大口真神原

むかし明日香の地に老狼在て、おほく人を食ふ。土民畏れて大口の神といふ。

これは『枕詞燭明抄』という江戸時代前記の下河辺長流という人が書いた和歌注釈書に「見風土記」として記されているものであり、この記述を信用してよいものなのかは保留せざるをえない。


それを踏まえた上でこの文を解釈すると、昔(風土記が書かれたときよりも前)に「老狼」がいたという話。つまり今(風土記が書かれたとき)もいるという話ではない。そしてそこで語られるのは特定の「老狼」のことであって狼全般のことではないし、単に年老いた狼のことでもない。明日香の地に昔いた人を食べる老狼が「大口の神」と呼ばれたという話になるだろう。


次に『万葉集』に出てくる「大口の真神の原」

「大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに」(舎人娘子万葉集』巻八1636)

「世界大百科事典 第2版」に

現在の奈良県明日香村飛鳥の中央部にあった原野をさす古代地名。《万葉集》に,〈大口の真神の原〉とうたわれているから,かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしい。

真神原 とは - コトバンク
と解説されている。しかし俺は
ヤマイヌ(すずかハイキング)
の説を採用するので「真神=狼」(あるいは「大口=狼」)というのは支持できない。


風土記逸文」が本物だとしたら「大口真神原」は「大口真神のいる原」ということになり、それはただの狼がいるからではなくて「大口の神」と呼ばれる老狼が昔いたからということになるだろう。あくまで「昔」にいたということであって、今(当時)いるわけではない。また普通の狼がいたとも限らない。


風土記逸文」が偽物だとしたら「大口真神原」が狼に関する地名なのかさえ定かでない。そもそも「大口真神原」の地名由来譚があったのかも不明となる。


ただし「大口の真神原」の「大口の」は「真神原」にかかる枕詞であろうから「大口」と「真神原」には何らかのつながりがあるのだろう。しかし「飛ぶ鳥のあすか」や「春の日のかすが」といった枕詞の由来が諸説あって定まらないことから考えると、なぜ「真神原」に「大口の」という枕詞が付くのかという問題もまた難解であろうと思われ、逆に言えば「狼がいたから」というような説明は安直なのではないかと思う。また伝説としてではなく実際の地名由来として「大口」を湿地等の地形の意味で考えるのも同様の理由で慎重にならなければならないのではないかと思う。


ところで「真神原」について
ヤマイヌ・「大口真神原という地名」
では、「曲瀬(まがせ)の原」あるいは「曲水(まがみ)の原」という説を紹介している。その可能性は高いだろう。とすればまず「真神原」という地名があり、そこの「大口の」という枕詞が付いたということになろう。「真神」に「狼」という意味があるのだとしたら、そこに「大きな口の」という意味で「大口の」という枕詞が付くのは自然なようにも思われるが、「真神=狼」という根拠は存在しない。逆に「大口真神」→「大口真神=狼」→「真神=狼」という順番なのだろうと思われる。


それが古代人の連想なら、そこから伝説が生じ「風土記逸文」となった可能性はあるけれども、既に書いたように「風土記逸文」は本物かどうか怪しい代物であり、古代人はそんなことは露ほども考えていなかった可能性もある。というかそっちの可能性の方が高いのではないかと思う。


ところで、ここに問題が一つある。

日本武尊東征の際、御嶽山付近を通りかかった折、深山の邪神が白鹿に化けて、散々尊を悩ました。尊は占いして、鹿が山鬼であることを知り、山蛭を鹿に投げつけると、目に当たって死に、鬼神は正体を現した。深山で道に迷った際に尊を導いた白い狼には、山に留まって火災盗難を防ぐよう命じ、以後、狼は御嶽山大口真神として祭り上げられたという」

とあり、これが狼を「大口真神」と呼んだことの証拠になるのではいかということ。しかし「大口真神」と呼ぶようになったのはいつなのかという疑問がある。最初に取り上げた『枕詞燭明抄』は江戸時代前期の書物だ。「大口真神」と呼ぶようになったのは実は比較的新しいことなのではないだろうか?



※ ところでふと思いついたんだけれど「まかみ」の「ま」は「馬」とも表記可能だろう。飛鳥といえば厩戸皇子蘇我馬子など「馬」と関わりが強い土地である。そこが非常に気になったりする。