「当時の人はよく知っていた」(その2)

白木屋火災事故について

しかし、この「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」とする説に対して、井上章一朝日新聞社より出版した『パンツが見える。――羞恥心の現代史』で考察を加え、事実無根であるとして強い疑問を唱えている。「記録によると、1人を除いて犠牲者は全て飛び降りや帯・避雷針などで降りようとして失敗したことによる転落死だったことに加え、多くの従業員が消防士の救助で助かっている」「羞恥心のありようが現在とは異なっており、現代視点・西洋風視点から解釈を加えるのは誤りにつながる」などと指摘している。しかしながら、井上の著作発表以後もその指摘を踏まえないままに「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」という説が、テレビ番組などで「事実」として放送されることは少なくない。
鹿島茂のエッセイ『白木屋ズロース伝説について』(『関係者以外立ち読み禁止』所収)にはこの話が信じられるようになった経緯が書かれている。これによると、都新聞の捏造記事によって広まった都市伝説であるとのこと。

白木屋 (デパート) - Wikipedia


この話は少なくとも二つに分けなければならない。一つは、羞恥心によって犠牲者が出たというのは事実か」ということ、もう一つは「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなったというのは事実か」ということ。犠牲者が出た理由が羞恥心のせいではなかったとしても、それが羞恥心によるものだという「都市伝説」があったために「白木屋火災が女性の洋風下着が普及するきっかけとなった」ということはあり得る。


これは約80年前に起きた出来事を現代人が当時の事情を知らないので間違った理解をしてしまったという話ではない。まさに当時の人々が(たとえ事実と異なっていたとしても)そう信じたという話である。


当時の感覚でそれが全くあり得ないことだったとしたら、およそあり得ないようなデマを信じる人はいるとしても当然批判も起きるはずであり、現代人がわざわざ指摘するまでもないことではなかろうか?


これが広汎に信じられたということは、当時それを信じることが可能な下地があったということに他ならないだろう。したがって、犠牲者が出た原因が羞恥心によるものではなかったとしても、当時の人の感覚においても見られることが恥ずかしいという説明は共感できるものだったということになるのではなかろうか?と思えて仕方がないのである。