STAP論文騒動のよくわからないこと(その20)

「再現実験」は国民の期待を鎮める儀式(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース


画期的な論文が掲載されて世界中で追試が行われたものの誰一人再現できなかった。次第に科学者の期待は薄まっていく。そしてやがて消え去る。科学の世界ではよくあること(それだけでは、どうして再現実験が成功しないのか?単純なミスか?捏造があったのか?ということは解明されないけれど)。


※ STAP細胞が発表される少し前に出たこの研究はどうなった?
恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表:朝日新聞デジタル


理研に再現実験をしなければならないという義務があるわけではないとはいえる。実態は解明されないかもしれないけれど、画像不正をした小保方氏とそれを見抜けなかった共著者は処分されることになる。それはそれで1つのやり方。


しかし理研が再試験をすることによって、成功すればそれにこしたことはないが、成功しなくても、試験が成功しない考えられうる可能性を1つ1つ潰していくことによって、僅かの希望を持っている人(科学者を含む)に対して「その方法はもう試したから無駄だ」というメッセージを発信することができる。騒動を惹き起こした当事者の責務としてそうしようとするのも1つのやり方。


確かなのは、どっちのやり方が正しいかということは科学の公式で導きだせるものではないということ

今回の実験は、もはや科学ではなく、高まった国民の期待を鎮めるための儀式にすぎないことを、理研自身が明言しているのだ。

理研が明言しているのならそうなんだろうけれど、一方、

けれど、この経費を出さざるを得なかったこと、そして丹羽博士という世界有数の研究者がこの実験に関わらざるを得ないという状況をつくった責任は誰が取るのか。丹羽博士がより重要な実験に取り組み、優れた成果をあげたかも知れない機会を奪っているのだ。

というのも、科学それ自身の問題ではなくて、科学を取り巻く社会的な問題ではないか。出費がかさんだり、科学者が重要な実験に取り組めないと科学の法則が乱れるなんてことはないのだ。国民の税金が有意義に使われないとか、科学者が本来すべきことができなくて世界に遅れをとってしまうというのは社会的な問題であり、国民に対する問題なのである。


したがってこれは「科学の問題と国民の問題の対立」ではなくて「国民の問題と国民の問題の対立」なのである。


ところで

STAP細胞なるものがES細胞等をすり替えたものではないかという疑義があるわけで、それを調査しないでなんで「再現実験」をするのか。それはもはや「再現」ではなく新たな実験なのではないか。日本分子生物学会や日本学術会議が声明を出すなど、科学界はこの「再現実験」に否定的だ。

すり替え疑惑の調査というけれど、それは調査すれば解明されるものだろうか?STAP細胞がないということを証明するのが難しいのは確かだが、すり替えが行われたということを証明するのは容易なことなんだろうか?俺はド素人だからわからないんだけれど、調査をするにも費用と人員は必要であろう。その点をちゃんと説明してほしい。


次に、日本分子生物学会や日本学術会議の声明には重みがあるだろう。しかし理研だってバカの巣窟ではない。理研には理研の論理がある。このあたり経済界ではリフレ政策に肯定的なのに日銀は云々というリフレ派の無能論・陰謀論と通じるところがあるように思われる。