「物語が勝者」という話

「歴史とは 語りし者が 勝者なり」の実例…堤清二氏とか、赤穂浪士とか(やや再論) - 見えない道場本舗


一応言っとくけど、これは「勝者の書いた歴史」というのとは違うんですよね。だって赤穂事件を忠臣蔵として描いたのは四十七士や彼らの子孫じゃなくて浄瑠璃や歌舞伎の作者だから。


そもそも赤穂事件とは何だったかといえば、深く突っ込めば諸説あるだろうけれど、基本的には浅野長矩吉良義央を討とうとしたけれど果たせないまま死んでしまった。家臣は亡き主君が果たせなかったことをやり遂げた。という話であって正義とか悪とかいった話ではなくて忠義の話ですね。悪を倒す桃太郎侍とか暴れん坊将軍とは全く違う。


吉良を悪役に仕立て上げたのは四十七士ではないし、四十七士がそれを望んでいたのかというのは本人達に聞いてみなければわからないけれど、まあ、そんなことは望んでいなかったんじゃなかろうかと思う。


※ なお正確にいえば悪役は吉良上野介ではなくて、たとえば近松の作品では高師直。それは幕府の規制があったからといえばそうなんだけれど、吉良ではなくて高師直だったからこそ付け加えられた悪の要素もある。だから高師直吉良義央とは必ずしもならないだろうと思う。それが明治になって規制がなくなったことにより、高師直吉良義央に単純に入れ替えたことによって、吉良が全ての悪を担わせられることになったということもあるように思われる。


さて、物語は一度書かれてしまえば永久にそれが続くというわけではなくて、常に書きかえられていくものだろう。ここで紹介されているみなもと太郎の漫画では「わしゃ三河では名君で通っとるんだで」と吉良に言わせている。しかし吉良義央が在世時に名君と呼ばれていた証拠は無いと思われる。治水工事をやったとかいう話も実は怪しいらしい。吉良が名君とされるのはおそらくは悪とされていることへの反動(それと地域おこし)であって、これもまた「物語」であろう。