大人でも正しく理解できていない「ごんぎつね」

新美南吉 ごん狐(青空文庫)


「ごん」のいたずらが原因で兵十の母が死んだと理解している人が少なからずいる。ここをどう解釈するのかが大きなポイント。


1 兵十の母の死因は不明
わかっているのは兵十の母親が死んだということだけ。

「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

これはあくまで「ごん」がそう考えたということにすぎない。「ごん」は人里にも行くので兵十の母が床についていたことを知っていた可能性もあるけれど、死んだことから遡って想像しただけかもしれない。読者には本当はどうだったのかわからない。病死ではなくて事故死だったかもしれないし、可能性は低いけれど自殺や他殺だったかもしれない。病死だとしても心臓発作等の突然死だったかもしれない。


2.兵十の母はうなぎが食べられなくて死んだのではない
そんなことはどこにも書いてない。そもそも作者もこんな反応は想定外だったのではないだろうか?「ごん」が思ったのは、兵十の母が「うなぎが食べたいとおもいながら死んだ」ということであって「うなぎが食べられなかったから死んだ」ではない。


うなぎを食べると精力がつくという話があるので、それと結びつけて考えてしまうのだろうけれど、そんなことはどこにも書いてない。単においしいから食べたいということかもしれない。これがうなぎではなくてスイーツだったらこんな連想は起きないだろう(もちろん「うなぎが食べたい」というのは「ごん」の想像であって兵十の母が本当にそう言ったという描写はどこにもない)


ただし、描写はなくても「ごん」の想像が当たっていたという可能性はなくはない。兵十の母はおいしいうなぎを食べたかったのかもしれないし、精力をつけるためにうなぎが食べたかったのかもしれない。しかし描写がない以上は不明というしかない。


したがって、そもそも兵十がうなぎを捕ったの目的が母親のためだということも不明である。というか網の中にはうなぎと「きす」がいたのであり「きす」が目的、あるいは種類にかかわらず魚を捕るのが目的でうなぎは偶然捕れただけかもしれない。母が望んだから捕ったのではなくて単に食料(あるいは売り物)として捕っただけかもしれない。


なお、うなぎを食べると精力がつくといっても、それで死にそうな人が治るかといえば大いに疑問。医学的にもそうだが、医学が発展していない時代でも、それで死にそうな人が回復するとまで考えていただろうか?


3 兵十は「ごん」についてどう思っているか
これも勘違いが多いのだが、兵十は母の仇だからゴンを撃ったのではない。いたずら狐がやってきたから撃ったのである(ここから考えても「ごん」のいたすらと母の死に因果関係が無い可能性が高い)。


兵十の母が「うなぎが食べたいとおもいながら死んだ」というのは「ごん」の想像であって、事実は全く異なるかもしれない。兵十は「ごん」が何を考えているのか知らないし、そもそも母の死と「ごん」を関連付けていない可能性が非常に高いのであって、すなわち「ごん」が何を考えているのかを考えることさえしていない可能性が非常に高い。だとしたら

「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」

と言ったとき、何のためにそんなことをしたのかまで理解できなかった可能性は高い。



4 学校ではどう教えているか?
第4学年国語科学習指導案(佐賀県教育センター)(注PDD)

○兵十のおっかあは…」の会話文の接続詞(それで、ところが、だから)に着目させ、ごんの思い込みをどんどん膨らませている様子に気づかせたい。また、ごんの優しさや素直さを読み取らせる。

佐賀県の事例だけど「思い込み」ってしっかり書いてある。