浦島太郎の謎(亀は巨大化したのか?)

次から次に疑問が湧き出してきてやばい。

 また、発端の場面で子供たちがいじめている亀は小さな亀だと語っていたのに、太郎を龍宮に連れてゆく場面では大人を背中に乗せることのできるような大ウミガメであるというのも、変と言えば変なことだ。まあこれは、はじめは小さな亀だったのだが、太郎が龍宮に行くことを承知すると突然大きくなったとか、太郎が目をつぶると大きくなっていたとか語っているものもあり、そのように語れば昔話としては説得力をもってしまう程度の疑問だから、それほどこだわる必要はないのかもしれない。

浦島太郎の文学史(三浦佑之)

言われてみれば確かにそうだ。亀が巨大化したとすれば説明がつく。ただし、既に書いたように亀に乗って龍宮城に行く話は比較的新しく、古くは船に乗っていたのである。おそらくはこの本でもそのような説明がなされているのだろう(読んでないけど)。


船から亀に変化したせいでこのような問題が生じてしまった…


と納得しかけていたのだが、ここでとんでもなことを思いついてしまった。


亀が大きくなったのではなくて浦島太郎が小さくなったのではないか?


いやまあ、そうかもしれないけれど、そんなのどっちでもいいじゃないか!と思われるかもしれないが、意外と重要な問題かもしれない。


というのも文部省唱歌に「鯛や比目魚の舞踊」とあるように、物語には亀の他にも海の生き物が出てくる。そして漫画やアニメなどで見るダンスをしている「彼女達」は、水族館のお魚ショーで見るような原寸大のものではなくて、太郎と同じくらいの大きサさなのである。


これは彼女たちが巨大化したというよりも太郎1人が小さくなったと考える方が合理的なのではないだろうか?


さて話はここで終わらない。


今までのことを念頭に置いて『御伽草子』の「浦島太郎」を読めば、太郎は船に乗って龍宮城に行ったのだから、そこだけ見れば太郎は大きくも小さくもなる必要がなさそうに思えるけれども、

さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀の築地をつきて、黄金の甍をならべ、門をたて、いかなる天上の住居も、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。

わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや

浦島太郎(校註日本文學大系)
とあり、正体が亀の女房の家はミニチュアハウスではなくて、太郎が住むことが可能な大きさなのである。


まさか太郎が来るということで、自分の家だけでなく龍宮城の家々をすべて建て替えたわけではなかろう。だとすれば龍宮城の住人は太郎と同じ大きさなのだ。しかし女房の正体は小さな亀なのだ。いや正確には小さなとは書いてないけれども、釣り上げたというからには人と同じ大きさのはずがない。


とすれば、現世界においては太郎と女房の大きさには差があるにもかかわらず、異界の龍宮城では同じ大きさになったとしなければなるまい。そして龍宮城にある家の大きさが急に大きくなったのではないのだとしたら、太郎が小さくなったと考える方が合理的であろう。


ただし、亀が女房姿で太郎に遭った時には太郎と女房の大きさは同じであった。ここをどう解釈すればいいのかということになるけれど、これこそまさに亀が人の大きさに巨大化したとすべきだろう。そして巨大化したのは亀だけではなくて船もまた巨大化していたのだと思う。


そして亀女房と船は龍宮城に近づくにつれて元の大きさに戻っていった。そして浦島太郎は気づかないうちに小さくなっていったとすれば説明がつくのではないだろうか?


ドラえもんガリバートンネルを思い浮かべればわかりやすいかも。
ドラえもんのひみつ道具 (かま-かん) - Wikipedia



丹後国風土記』も同じ解釈が可能だろう。というかこちらでは亀が太郎の目前で乙女に変身したので、よりはっきりしている。


以上のことを考えれば、「小さな亀に浦島太郎が乗るのはおかしいではないか」という疑問があるけれども、亀ではなくて船の場合であっても実は現世界と異世界では大きさが変化しているという点に気付いていないということなのかもしれない。


まあ、これがトンデモ解釈っぽいことは俺も自覚しているけど、それなりの根拠はあると思っている。