「閼伽」と「aqua」

「閼伽」と「aqua」が同語源だという話は前々から知っていた。今日ふと気になって検索したところ、これは俗説だった。

というのも,「閼伽」の語源はサンスクリット語で「価値ある」を意味する「arghya」であり*2,「aqua」に対応するサンスクリット語は「水」を意味する「ap」であろうとされるのである。この両者に関連性がないことは,オックスフォード羅語辞典*3・モニエル梵英辞典*4等を対照してみれば明らかである。

実際,サンスクリット語を少し調べれば,この説を否定するのは容易である。すなわち,「arghya」は,「価値ある」が原義であり,そこから「価値ある人に捧げるもの」>「価値ある人に捧げる水」と語義が派生している言葉である。したがって,これを「水」と訳す場合でも,それは「水一般」を指すことはない*5。

「閼伽」は「aqua」ではない。


そうだったのか。


ただし、細かいことだが一つ気になるところがある。「閼伽」を辞書で調べると

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
閼伽
あか
サンスクリット語アルガarghaの音訳で、阿伽、遏伽とも書く。器、功徳(くどく)水、水と訳す。原語は「価値あるもの」の意で、客人を接待するにもっとも必要な水を意味し、転じて神に供える捧(ささ)げ物の意となり、それを盛る容器の総称となった。
閼伽(あか)とは - コトバンク

「価値ある人に捧げる水」だから閼伽なのか?「客人を接待するにもっとも必要な水」だから閼伽なのか?前者は「価値ある人」であり後者は「価値ある水」という意味でしょう。なお後者についても、「水に価値がある」という意味か「普通の水ではなく価値のある水」という意味か悩むのだが、おそらく「水に価値がある」だろう。


※前者は『「価値ある人」に捧げる水』ではなく『価値ある「人に捧げる」水』という意味の可能性もある。ややこしい。


これを指摘してる『通俗語源説と「閼伽」の問題点』(中島利夫『奈良大学紀要』)は図書館に置いてないから読めない。「Skt. argha-larghya-,閼伽(あか),Lat. aqua」(笠松直 『歴史言語学 = Historical linguistics in Japan』)という論文もあるけどこれも読めない。


インド哲学研究者の宮元啓一氏の『仏教の謎を解く』に

神仏や高僧に差し出される貴重な供物

とある。「貴重な供物」とあるので「価値ある水」が正解であろう。



なお、上のブログ記事によれば

ところで,この俗説はどこから生じたのであろうか。私は,それを山中襄太「地名語源辞典」*11だと思っており,このページでも,従来,そのように説明していた。しかし,「まんどぅーかのサンスクリット・ページ」の「梵語俗説(1)」の追記部分によると*12,岩田一男『英単語記憶術』 が火元だったようである*13。謝して訂正する。

とあり、リンク先を見ると

岩田一男『英単語記憶術』(1967.3.1。光文社)

とある。一方、宮元啓一氏の『仏教の謎を解く』には

戦前、「閼伽」の語源は「水」を意味する「アクァ」だという説が流れましたが、まったくの間違いです。

とある。これは「閼伽とaquaは同語源」説ではなく「閼伽の語源はaqua」説ではあるけれど、戦後の前者は戦前からあった後者を発展させたものとも推測しうる。そのへんも興味あるけど、ちょっと調べようがない。