右翼でも左翼でもない

「自分は右翼でも左翼でもない」って主張を本当に良く目にするんだけど、一体どういう意味で言っているのか真剣に考えているんだろうか?右でも左でもないのなら、一体何だというのだ?そこが肝心なのに説明なしで「右翼でも左翼でもない」じゃあさっぱりわかりませんがな。そう言っている人はどういう空間を想定しているのだろうか。


世の中、必ず右と左があるものじゃないですか。右手・左手、右目・左目、右耳・左耳、その他。そりゃ右上と左下という場合もあるだろうけど、それでもやっぱり右と左ですよね。右前・左後だってそう。右でも左でもないってことは、丁度真ん中にあるってことだろうか?しかし、それを決定するためには右端と左端を確定させなければならない。それはどこにあるのか?そんなのわかるわけないと思う。しかも常に右端と左端が不動であるとも思えない。とすれば真ん中にいるためには、常に右端と左端を観察して、それに合わせて真ん中に移動しなければならない。そんなことは不可能だ。とすると、そういう意味ではないのだろう。


じゃあ、どういう意味なのだ?まず考えられるのは、極右・極左ではないという意味で「右翼でも左翼でもない」。あるいは、右派・左派の代表的人物の主張に全面的に同意できるわけではないから「右翼でも左翼でもない」という意味であろうか?しかし、それにしたって、左右で言えば右か左のどちらかに属しているのではないのか?


とすれば、左右の二分割でなくて、左・中間・右の三分割で考えているのだろうか?ただ、この場合でも中間はさらに左右に分割できるのではないか?さらに疑問に思うのは、中間にいるというのは、自分の考えが「たまたま」中間に位置していたということなのか?それとも、左右を見比べて中間に位置するように調整しているのかということ。前者なら社会の変化によって右になったり左になったりする可能性があるが、後者なら常に中間になる。前者なら社会が「右傾化」すれば左翼になるし、後者なら右にシフトしなければならず、その場合別の見方をすれば右旋回したことになる。一体どっちだと認識しているのか?


それとも、今の世の中、左右の定義が不明確だという意味だろうか?しかし、その場合「右翼でも左翼でもない」という言い方はおかしい。それを言うなら「右翼とか左翼という時代ではない」とかであろう。それにそういう認識はどうかと思う。なぜなら、現実に政治的傾向による対立は存在するし、おそらく永久に無くならないだろうと思うから。だとしたら何らかの方法でそれらを区分けする必要があるのではないか?それをしないで議論が可能だろうか?


というような趣旨のことを以前某所に書いたことがある(ログを保存してないので若干違っているかもしれないけど)。