日本のカミ(かなりネタ含む)

上の記事のタイトルは最初「日本のカミ」にするつもりだったんだけど、横道にそれて聖徳太子について書いたので変更した。今日書こうとしていたのはそれではなくて、日本の神について。神というのは自然のことであり、自然の力から受ける害を避け、利益を得ようとして、人は神を祀った。怨霊についても同じ。


怨霊というものが人に災いをもたらすものなら、鎮魂するのではなく、怨霊の存在そのものを消し去ればよい。祭祀するにはコストがかかるのだから、そのほうが経済的だ。なぜそうしなかったのか?理由のひとつは上手くやれば利益が出るからだと思う。だけど、それ以前に、そもそも消去不可能であるからであろう。


と思うんだけど、実はそこのところが俺には良くわからない。神が自然のことだとすれば、たとえば、沼の神様は沼が埋め立てられたらどうなるんだろうとか、動物の神様はその動物が絶滅したらどうなるんだろうとか考えると、もしかして神も消去可能なのかなんて思ったりするんだけど、まあ、そういうことではないのだろう。やっぱり神は物体とは別のものとして存在していて不滅なんだろう。ただ、人間の側からすれば、沼が埋め立てられたら、もう沼の利用価値はなくなるわけで、一方、害もなくなるので、沼の神の存在意義が薄れてくるんで、最初はタタリを恐れたりもするんだろうけど、忘れられていくってことになるのかもしれない。


学問の神である道真の場合だったら、学問に価値がなくなれば、怨霊としての道真も忘れ去られるってこともあるかもしれない。でも、最初から将来必要なくなることが予想される機能を担当させるのでは、怨霊も馬鹿じゃないから、見え透いたことやりやがってと怒って雷を落としまくって都は阿鼻叫喚の地獄絵図…


また話がそれた。


神を消去することが出来ない、ましてや神の及ぼす害だけを消去して利益だけを享受しようなんて都合の良いことが出来ない以上、人は神と共存していかなければならない。神を祀り、害することを止めて恵みを与えて欲しいと祈らなければならない。今までそうしてきたし、これからもそうするべきである。


古代からいる神だけでなく、現代には現代の神々がいる。それらの神々に恐れ多くも、祭祀もしないで批判を繰り返す不届き物がいる。なんと罰当たりなことだろう。彼らは「悪神」がいなくなればいいと思っている。しかし神に善も悪もない。神は神だ。悪い部分だけ消し去るとこは不可能だし、存在そのものを消し去ることができるなどと考えるのはオカルトの領域にあるといえましょう。「○○がなくなれば世の中よくなる」という言論は一見科学的に見えるが、物理法則を無視した非科学だ。そんな都合の良いことはありえない。よく考えればどこかに穴があるはずだ。みなさん新興宗教の勧誘には気をつけましょう。ただし、こんなことを言う人がいなくなればいいとは思わない。いなくなるわけがない。彼らもまた「神」なのだから。


神を敬うということは、実は神をコントロールするということでもある。日本人の風習として、あからさまにそう言わないだけである。神を祀らないということは、神を野に放つということである。災いを制御できないということである。もし何らかの方法で神を抹殺できたとしても無駄である。新たな「神」が、それも多くの場合、より悪い形で生まれるだけである。それは「神」とは呼ばれないかもしれないが…


ネタがだいぶ入っている。むしゃくしゃして書いた。反省はしていない。