網野史観に見る支出の倫理

極東ブログ: 支出の倫理


山本七平の『静かなる細き声』からの引用。

 この際、支出とは他にとっては収入であるから、非倫理的な支出が非倫理的収入をもたらすとは考えない。
 そのため、非倫理的収入を得た者が社会的に非難され軽蔑され差別されることはあっても、この収入の原因となった非倫理的支出をしたものは非難されないという奇妙な現象を呈しながら、だれもこれを奇妙とは思わない。


『歴史を考えるヒント』(網野善彦 新潮選書)にはこう書いてありますね。

特定の人の持ち物にはその人の心がこめられており、それを相手に渡すのは、自分の心を渡すことだったのです。また、物をもらうのは相手の心をもらうことになりますから、こうした物の交換は贈与・互酬であり、商品の交換にはならなかったのです。しかし、市庭で交換される物はすでに世俗の縁の切れた物、人の世界から切りはなされた神仏の世界の物になっていますから、全く後腐れがなく、商品として交換することが可能になったのだと考えられます。


ついでに前半で触れられている「匿名」についても網野史観で解釈できたりする。
さるさる日記 - 司史生の浮草雑記:まとめブログ問題の網野的解釈(ヨタ話)