ところで、この件について調べていたら衝撃の事実を発見。
いや、前から知っていたという人もいるだろうけれど、俺はすげーびっくりした。これは絶対知らない人の方が多いでしょう。
岐阜命名の通説は、沢彦(たくげん)という禅僧が進言した「岐山・岐陽・岐阜」という候補の中から選んだ。で、これは周の文王が岐山より起ったという故事に「ちなんで」付けたのだという話。
これをはじめて知ったのはいつだったか覚えていないくらい昔のこと。中学生の時だったと思うけれど、もしかしたら小学生の時だったかもしれない。それ以来ずっとそう思っていた。「岐阜」という地名が前からあったということを知ってからも、そういう「通説」があるのだという認識だった。
でも、どうやらそういう話じゃなさそうなのだ。
この話の原典は何だということは前から気になってはいた。『政秀寺古記』とか『安土創業録』とからしいんだけれど、気軽に調べられる種類の史料じゃないんで、正確にはどういう話なのかはわからなかった。
で、今回いろいろ検索していたら、
⇒岐阜観光コンベンション協会|織田信長と岐阜 9.「麟象」花押・「天下布武」印章
という記事があり、ここに『政秀寺古記』の概要が書いてある。本来は自分で原典にあたってみるべきだけれど、これは信用できると思われ、以下に引用。
【政秀寺古記】によると、沢彦は、「岐阜」・「岐陽(ぎよう)」・「岐山(ぎざん)」の三つを示し、その中から信長は【岐阜】に決定しました。そして「祝語(しゅくご)はないか」と問うと、沢彦は「古代中国の周(しゅう)王朝は【岐山】の麓から起こり、中国全土を平定しました」という故事を披露しました。信長は大変喜んで、沢彦に多くの褒美を与えた、と記しています。
「岐阜」・「岐陽」・「岐山」の中から選んだというのは、前から知ってたとおり。だけど、その先が違う。
故事にあやかって付けたという話じゃない!
信長が決定した後に、「祝語はないか」と問いかけ、沢彦が故事を披露したという話じゃないっすか!
マジびっくりですよ。
じゃあ、あのよく聞く話はいったいなんなんだ?俺が勝手に誤解してただけ?そんなことはないはず。現に検索すればそうとしか解釈できない話がいっぱいヒットする。
わからん。沢彦が故事にちなむ名前を考えたという趣旨のことを書いてるところもあるけれど、「祝語」ってそういう意味?俺は違うと思うけれど。
まさにこれこそが通説の出典であって、通説とされている話は実は存在しないという可能性が高いんじゃないかと思うけれど、他の史料にそういうことが書いてあるって可能性もなくはない。
謎は深まるばかり。