迹見首赤檮(とみのおびといちい)の続き。
物部守屋を射落としたとされる迹見首赤檮(とみのおびといちい)。俺はこの「いちい」という名前がとてつもなく気になる。
先に俺は「お市の方の「市」の意味」という記事を書いた。「いち」には聖と俗の中間という意味がある。
人々が市を立てた場所はみな、人間の力を超えた聖なる世界と世俗の人間の世界との境であったと見てよいと思います。
(『歴史を考えるヒント』網野善彦 新潮選書)
イチは一方に神に仕える女性を意味すると共に、九州などでは亦単に稚児といふ義にも用ゐられて居た。
(『柳田國男全集11』筑摩書房)
柳田によれば神和ぎ系巫女は、関東ではミコ、京阪ではイチコといい、口寄せ系巫女は京阪ではミコ、東京近辺ではイチコ アズサミコという。
柳田國男は「いちい」についても言及している。
武蔵に於ては秩父の両神山の登路、即ち秩父郡両神村大字薄の富士見阪の下に、一位墓(いちゐばか)と称する文字無き自然石の碑が路の側にあつた。此山女人禁制であるのを、巫女あつて強ひて登らんとし、此処に於て石になつた。一位のイチとはかんなぎの事であると云ふ(新篇武蔵風土記稿)。
(『柳田國男全集11』筑摩書房)
「一位のイチとはかんなぎの事である」
聖徳太子の誓願により迹見首赤檮に霊的な力が宿り、見事に物部守屋を射落としたとするならば、迹見首赤檮はまさに「かんなぎ」であろう。
ところで、この迹見首赤檮の話とそっくりな、そしてとても有名な話がある。
(つづく)