迹見首赤檮(補足その1)の続き
捕鳥部万について。
捕鳥部万と聞いても「誰?」って話。ウィキペディアの説明も短い。
⇒捕鳥部万 - Wikipedia
しかし、「守屋合戦」で物部守屋が迹見首赤檮に射ち落とされた後の、捕鳥部万の記事はむちゃくちゃ長い。
物部守屋大連資人捕鳥部万〈 万。名也。 〉将一百人守難波宅。而聞大連滅。騎馬夜逃向茅渟県有真香邑。仍過婦宅、而遂匿山。朝庭議曰。万懐逆心。故隠此山中。早須滅族。可不怠歟。万衣裳幣垢。形色憔悴。持弓帯剣。独自出来。有司遣数百衛士囲万。万即驚匿篁聚。以縄繋竹。引動令他惑己所入。衛士等被詐指揺竹馳言。万在此。万即発箭。一無不中。衛士等恐不敢近。万便弛弓挟腋。向山走去。衛士等即夾河追射。皆不能中。於是有一衛士。疾馳先万。而伏河側。擬射中膝。万即抜箭。張弓発箭。伏地而号曰。万為天皇之楯将効其勇。而不推問。翻致逼迫於此窮矣。可共語者来。願聞殺虜之際。衛士等競馳射万。万便払捍飛矢。殺三十余人。仍以持剣、三截其弓。還屈其剣、投河水裏。別以刀子刺頸死焉。河内国司。以万死状、牒上朝庭。朝庭下苻称。斬之八段散梟八国。河内国司即依苻旨。臨斬梟。時、雷鳴大雨。爰有万養白犬。俯仰廻吠於其屍側。遂噛挙頭、収置古冢。横臥枕側、飢死於前。河内国司尤異其犬。牒上朝庭。朝庭哀不忍聴。下苻称曰。此犬世所希聞。可観於後。須使万族作墓而葬。由是万族双起墓於有真香邑。葬万与犬焉。』河内国言。於餌香川原、有被斬人。計将数百。頭身既爛。姓宇難知。但以衣色、収取其身者。爰有桜井田部連胆渟所養之犬。噛続身頭、伏側固守。使収已至。乃起行之。
⇒日本書紀(朝日新聞社本)(J−TEXTS 日本文学電子図書館)
物部守屋に仕えていたというだけの人物の死について、なぜこれほど詳しく書かなければならないのだろうか?守屋の死は「射墮大連於枝下」と書かれているだけなのに。
これは聖徳太子研究にとっても重大な謎である(はずだ)。だが、あまり議論されているようには思えない。
その理由が「万が忠臣だったから」などというものだったとは到底思えない。もっと重要な意味があるはずだ(そもそも忠臣といっても『書紀』では守屋の忠臣としてではなくて天皇の忠臣であることを万は主張しているのであって、そこを勘違いしている人も多い)。
俺はこの謎を解く鍵は、「斬之八段散梟八国」(八つ切りにして八カ国に曝せ)と朝廷が命じたことにあると思う。
(つづく)