「珍妙な考え方」

【本郷和人の日本史ナナメ読み】(27)光秀はなぜ主人を見限ったか+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

6月17日付の記事を今頃になって読んだんだけれど、ぶったまげた。


本能寺の変の原因の一説として取沙汰されている「四国出兵説」について書いてある。この説の是非についてはこの際関係ない。


本郷氏は

 以前に書いた本の中で、私はこれを「珍妙な考え方」と一蹴してしまいました。でも、これは私の誤りでした。いま私は反省するとともに、考えを改めています。「四国出兵説」は十分考慮に値するのではないだろうか、と。

と書く。これだけを読んだ時点では、特にどうということもなかった。本郷氏はこの説に否定的だった考えを改めたんだろうという話として受け止めた。


※ ただし「珍妙な考え方」と一蹴していたというのは気に食わない。擬似科学問題にも関心がある俺にとっては、このように異説を安易に切り捨てる態度は非常に腹が立つものがある。歴史学など実験で立証できるものではなく、不完全な史料を推測によって穴埋めしていくしかないのであり、自然科学よりも慎重に可能性を留保すべきものであるように俺は思うのだが。とはいえこの手の歴史学者は本郷氏に限らず大勢いると感じているので、この程度のことを一々気にしていては先に進めなくなってしまう。このことについては別に論じたい。


とにかく本郷氏は考えを改めたというのは理解した。その前に「私の誤りでした」とあるのは、単純に「珍妙な考え方」と一蹴していたのが誤りだったという意味だと思った。ところが、次のページを見ると、

 考えを改めた理由は2つあって、1つは斎藤利三(としみつ)の再認識です。私は光秀が取次として働くうちに、重臣の利三の妹を元親の妻とした、と誤解していた。四国を征服しようかという元親が、織田家の家来の光秀、そのまた家来の利三の妹なんかを妻にするのかな。うさんくさいな、と勝手に思っていました。ですが、違った。

と書いてある。次の

理由のその2は、四国の再認識です。正直なところ、私の中では四国の評価が低かった。

四国の評価が低かったが再認識した。その結果「四国出兵説」は十分考慮に値するのではないかと考えを改めた。これはわかる(わかるといっても歴史学者としてレベル低くないかという思いはあるが)。


しかし一番目のは「再認識」ではなく「事実誤認」だ。それもかなり初歩的な。人は誰でも間違いを犯す。俺だって間違う。けれど何か軽いんですよね。単なる間違いじゃなくて影響力のあるプロの歴史学者が著書の中で人様の説を「珍妙な考え方」などと決め付けた重要な根拠が、確認しようと思えば簡単に確認できることを怠った思い込みによるものだったという話にしては。


(ところで)

利三は美濃斎藤家の嫡流なのですね。ものすごく家格の高い人なのです。だから、彼の妹(異父妹。幕臣石谷光政(いしがい・みつまさ)の娘)が元親の正室(かつ、嫡子である信親の母)なのは全く不自然ではない。

とあるけれど、「利三は美濃斎藤家の嫡流ってどこ情報なんでしょうね?いや俺も良く知らないけれど検索してもそれらしき話は見当たらないんだけど。


あと、

四国を征服しようかという元親が、織田家の家来の光秀、そのまた家来の利三の妹なんかを妻にするのかな。うさんくさいな、と勝手に思っていました。

だけど、元親が正室にしたのは「美濃守護代斎藤氏の一族で龍興家臣の利三の(異父)妹」というよりも「美濃守護土岐氏一族で幕臣石谷光政の娘」ですよね。
元親夫人
通常、結婚相手は(異父)兄が誰かよりも親が誰かが重要ではないんでしょうかね?。利三の家格の高低が婚姻にどれだけ影響を与えたのかといえば、それほどなかったと俺は思いますけどね。


土岐石谷氏で検索したら興味深い考察があった。
土岐氏調査・研究ノート


※ ただし元親夫人の出生については石谷氏の娘ではなく斎藤氏の娘という異説があるそうだ。
元親の妻
事の真偽は俺には手に負えない。石谷氏の養女になったのかもしれないなんて思ったりもする。その場合は斎藤氏の血筋が関係する可能性はあるけれど、それでも幕府とのパイプを作る方が主目的だったのではないかと思う。本郷氏の場合は「異父妹」と断言しているのでこれは関係ないけれど。


(追記)
本能寺の変の四国問題原因説は珍妙か? - 日本史日誌
この記事に本郷氏の本からの引用があった。何だこの論理は?AがXという状況で行動しなかったからBも同じ状況で行動しないなんてどうして思えるんだ?化学反応じゃあるまいし。しかもこの記事で書かれているように全く同じ状況じゃないし。これの方が極め付きの「珍妙」じゃないですか。