わらしべ長者の教訓

池田香代子氏「民話を殺したのは誰か」連続TW - Togetter
は、一字一句ごとにツッコミたくなる。だが俺も知識があるわけではない。専門家であっても正しいツッコミをするには大変な労力が必要だろうから、俺には到底無理だ。


最初の「フォーク(人々の)ロア(知恵)の華、民話は面白くてためになるもの、娯楽であって」からして疑問に思う。フォーク(folk)は「人々の」でいいと思うけれど、ロア(lore)には「学問・知識」という意味と「伝承」という意味がある。フォークロアには二つの意味があり、一つは「民俗学」、もう一つは「古く伝わる風習・伝承」ということであって「民話」もこれに含まれる。民話を「人々の知恵」と説明するのは、間違っているとは言えないだろうけれど恣意的な説明のように感じられる。なお、「世界大百科事典 第2版の解説」によれば、

フォークロアという用語自体は1846年イギリスのトムズWilliam Thomsによって初めて用いられた。イギリスにおいては民衆が保持している古い習俗,信仰などは,当初ギリシア・ラテン的あるいはドルイド教的異教の文化の〈残存〉と考えられ,フォークロアも長い間〈残存の科学〉と定義されてきた。

フォークロア とは - コトバンク
とある。フォークロアを「人々の知恵」と訳すにしても、「民話の教訓」から連想させるようなものではないように思われる。


これについて考えるだけでも頭が爆発しそうだ。というわけで、これについて考えるのは終わりにして、本題の「わらしべ長者の教訓」について。

例えば、厳しい労働の裏返しで、怠ける事の快楽が語られた(cf.わらしべ長者

わらしべ長者」がそんな話だったとは、今の今まで全く知らなかった。


ところでウィキペディアには、

今日では、わずかな物から物々交換を経ていき最後に高価な物を手に入れることに対する比喩表現にも使われる例が多いが、作品の舞台である近代以前の一物一価の法則が成立しなかった段階においては、主人公の取引行為はいずれも高価なものを入手する動機はなく、需要と供給の均衡の上に成り立った等価交換を繰り返した結果として富の上昇がもたらされているという点に注目をする必要がある。これを裏付けるように、原話(今昔物語集)の結末は馬と田を交換して地道に農作物の収益で豊かになると言うものであり、そこに価値の飛躍は見られない。

わらしべ長者 - Wikipedia
とある。これを見ると到底「厳しい労働の裏返しで、怠ける事の快楽が語られた」という教訓が含まれているようには思えない。


※ もちろんウィキペディアを鵜呑みに出来ないが、ネットで『今昔物語集』と『宇治取遣物語』を読んでみてもやはり、そんな話だとは読み取れなかった。


だがこれは『今昔物語集』(または『宇治取遣物語』)の「わらしべ長者」の話であって、これだけが「わらしべ長者」だというわけではない(のだろう)。もしかしたら「怠ける事の快楽」が語られている「わらしべ長者」があるのかもしれない。だが俺は知らない。


しかし、そうではなくて、一般に知られているところの「わらしべ長者」に「怠ける事の快楽」が語られていると池田氏は言いたいのかもしれない。というかその可能性が非常に高いように思われる。


だが、どう考えても俺にはそう思えないのである。


もちろん世の中にはそういうユニークな受け取り方をする人もある程度いるのかもしれない(俺にはどうしてそう受け取れるのか想像もつかないが)。しかし、そこから話を広げていくのはトンデモにしか俺には思えない。