迹見首赤檮 (補足その5)

迹見首赤檮(補足その4)の続き。

日を招いても没落しない話


小野地健氏は日を招いても没落しない原因を王権との関係で論じているけれど、俺はそれに同意できない。


というのも、「日招き長者」の長者はただの富裕な農民ではないと思うからだ。


確かに今に伝えられる伝説の中の長者はただの富裕な農民にみえるかもしれない。けれども本来の長者は「王」であったと思う。朝日長者伝説をみれば、多くの長者は支配者の属性を持っている。小野地氏の論文で紹介されている「嫁」もただの農家の嫁ではなく、「女王」もしくは「巫女」であったろうと思う。


したがって「日招き長者」の伝説は、たとえ王であっても沈む太陽を招き返すという自然の摂理に反することをすれば没落するという話であって、それが天皇であろうと例外ではないはずだ。



では、なぜ日を招いても没落しない武将がいるのか。


それらの伝説は全て地方に伝わる「民間伝承」だ。そもそも民間伝承で小野地氏のいうような天皇支配に都合のよい論理が伝えられているというのが不思議だ。中央政権が地方に情報工作活動でもしたのだろうか?それならそれでもっと多くの地方にその手の話があってもよさそうなものだ。


それに武将の伝説といっても、武将の伝記や物語に記されているわけではなく、その地方でのみ伝わる伝説である。その点『平家物語』の那須与一の話とは性格が異なる。


俺はその地方で、それらの伝説が存在するのは、元々その地方に「日招き伝説」があったからであろうと思う。そして、元々あった「日招き伝説」の長者が武将にすりかわったのではなかろうか。


伝説の長者が実在の武将にすりかわってしまったために、その実在の武将が現実に没落していなければ伝説に矛盾が生じてしまう。そのため、すりかわった際に没落したという話が削除されてしまったか、あるいは没落した話はあったけれど事実と異なるということで後に消えてしまったということではないかと思う。


すなわち、長者と武将の違いではなくて、伝説的人物と実在人物の違いが没落するかしないかの違いとなっているのだろうと考えるのである。