迹見首赤檮 (補足その4)

迹見首赤檮(補足その3)の続き。


日を招いても没落しない話
「日招き長者伝説」は長者が没落する話なのだが、例外として没落しない話がある。


『日本民俗大系 太陽と月』(小学館)では、

愛媛県伊予郡保免町の日招き八幡、宮城県桃生郡桃生町の日招ぎ橋、同町の日招ぎ壇

が紹介されている。「日招き八幡」は佐々木盛綱、「日招ぎ橋」は源頼義父子、「日招ぎ壇」は源義家が日招きしたらしい。全て武将だ。だとすると、武将が日招きした場合は没落しないかのようにもみえる。


CiNii 論文 - 「日招き伝承」考
で小野地健氏はそのような観点から「王権」との関係を論じている。

 ここには伝承における政治性と権威の問題がある。長者は日招きをしたから没落したのではなく、長者が日招きをするのは不遜であり不適格なのだ。逆に、武将たちは日を招いたから合戦に勝利した、というよりも勝利者となって支配者の陣営に立ちえたからこそ、日を招くという人々の社会生活を規制する時間の分節を操作できる存在として受け入れられ、成功者に位置づけられているのだ。
 さらに、日を招く武将たちの戦いを正当化し権威づけるものとして、天皇の権威が背後にみえてくる。(中略)従って、彼らが時間の分節を再区分する日招きを成功させられるのも、天皇の持つ権威、時間の一元的な支配者の側面との不可分の関わりが指摘できる。

果してそうだろうか?もし、そうなら上宮王家と蘇我氏が没落したのと「太陽を射る話」は関係ない可能性も出てくる。しかしながら、俺はやはり太陽を射たから没落したという話だと確信している。


基本的に日本の「太陽を射る話」および「日招き長者伝説」の結末は没落であり、没落しない話は例外である。「守屋合戦」は誰が何と言おうと紛うこと無き「太陽を射る話」であり、そして事実として上宮王家と蘇我氏は没落している。



ならば、なぜ日を招いても没落しない武将がいるのかというのが問題になるけれど、俺は小野地氏とは違う解釈を持っている。


(つづく)