紹巴の子の玄仲の娘の那倍が伊藤仁斎の母なんだそうだ。へえー
⇒里村紹巴 - Wikipedia
⇒里村玄仲 とは - コトバンク
その他にもビッグネームが親族に。
⇒伊藤仁斎 とは - コトバンク「世界大百科事典 第2版の解説」
それはそれとしてウィキペディアの伊藤東涯の項には
なお元禄16年(1703年)4月に東涯が並河千左衛門へ送った書状のなかに元禄赤穂事件で赤穂藩から離反した大野知房と伊藤五右衛門の兄弟の消息についての記述がある。よって五右衛門の生家・伊藤家は東涯の親族だった可能性が高い。
⇒伊藤東涯 - Wikipedia
とある。本当かどうかわからないけれど…
ただし、先に書いたように伊藤梅宇『見聞談叢』に大野のことが出てくる。
⇒伊藤梅宇『見聞談叢』三則: 永蔦雑志
大野については「これも先人と近付のすじ」としながらも「不忠の人ゆへ・・・をとづれもなし」と素っ気ない。ただ仁和寺のあたりに住んでいること、名を「閑静」と改めていることなどが、他の史料と符合する。息子(郡右衛門)が小堺十助と改名して日用頭となり、大野の子であると知れて仕事ができなくなって餓死したとある。傍証がないので要注意だが、一説たるを失わないであろう。
「先人と近付のすじ」というのが門人という意味ではなくて親類という意味なのか。
⇒大野知房 - Wikipedia
⇒伊藤五右衛門 - Wikipedia