「小保方さんはちょっと普通の人とは違う」ので、こうした問題が起きた、という話にしてしまえば、話は楽だし、小保方博士一人を排除してしまえば解決ということになります。こんな事件はそうめったに起きるものではないので、「小保方特殊論」ですまそうという誘惑にかられる人も多いのではないかと想像します(実際そういう声を多く耳にします)。
⇒特殊と普遍〜「小保方特殊論」を超えて - 科学政策ニュースクリップ
STAP論文騒動の争点の一つが彼女に「悪意」があったのか無かったのかということ。
ただし「悪意」とは何かという定義の問題があって、理研の規定で「悪意の無い間違い」は処分の対象とはならないというときの「悪意の無い間違い」に該当すると彼女は主張するけれども、おそらくそれは通らないだろうと思われる。というのも彼女のしたことは科学者としての倫理に欠けているから。
一方、一般的な意味の「悪意」つまり、STAP細胞が存在しないことを知りながら故意に存在するかのように見せかけるために捏造行為をしたのかという点は、理研の処分とは別に考える必要があると思われる。大方の見方は彼女はSTAP細胞の存在を確信しており「捏造」は彼女が未熟だったからだと考えられている。ただし、そうではなく一般的な意味での「悪意」によるものだという意見も存在する。どっちなのか今のところ確定的なことは言えないと思う。
で、もし彼女が未熟な科学者だから捏造をしたのだとした場合、疑問に思うのは、いくら未熟だといっても、そんなことは常識ではないのか?ということ。だってド素人の俺だってそんなことしたらマズイんじゃないかって普通に考えるから。それじゃあ、やはり一般的な意味での「悪意」があったんじゃないか?とも思わないでもないけれど、それにしては不審な点も多いように思われる。
で、可能性はそれだけかというと他にもあるように思われる。それは彼女が「科学者として未熟」というよりも「著しく一般常識に欠けている」のではないかということ。もしそうだとしたら、やはり彼女はかなりのレアケースなんじゃないだろうか?悪意のある改竄だとしたら科学者全体の中では少数だろうけれど、それなりにそういう事例は存在する。だからある程度は注意を払うだろう。しかし彼女のような事例はほとんど無いんじゃなかろうか?つまり「想定外」だったんじゃなかろうか?
組織に属する人が犯したことの責任をその人物のみに押し付けるというのは極めて評判が悪い。だからそれを批判する主張は受ける。はっきりいって「ありきたり」の主張である。「ありきたり」ではあるがもちろん一理はある。でも一周回ってもう一度あえて「小保方特殊論」で考えてみる必要もあるんじゃないだろうか?それが組織の責任を考えるにも必要なんじゃないか?そうしないと責任者が単に頭を下げるだけの形式的なことで終ってしまうんじゃないか?なんてことを思ったりするのであった。