楽市楽座とは何だったのか?(その2)

考えれば考えるほど謎が深まる。


信長の「楽市楽座」令が「革命」とか「革新」とされる場合の「革命・革新」とはどういう意味かといえば、中世から近世へ移行させる役割を果たしたってことですよね?違うのだろうか?


で、中世とは何かといえば、俺の考えでは強力な権力がない分権的な社会。自分の身は権力に守ってもらうのではなくて自力で守る社会。農民は武装して自分たちの身体・財産を守る。商人もまた結束して自分たちの権益を守る。そういう社会。


それに対して近世は、農民は武装解除して領主に保護してもらう。商人も領主の保護下で商売をする。その代わりに年貢や冥加金を払う。そういう社会。近世においても自治はあったけれど、中世と比べたら大幅に自治権は制限された。例外はあるかもしれないけど大雑把にいえばそんな感じ。


そう考えれば、楽市楽座の革命的な意義とは、商人の権利を領主が保護する代わりに自治権が奪われて、領主の統制下に入るということではないのか?


普通に考えればそういうことだと思うんだけれど、ちょっと調べてみた限りでは、そういった説明がなくて、単に「革新的」とか書いてあるだけだったりするから困る。


で、それが「革新的」だという「従来の説」が否定されるというのは、そういう意味での「革新的」な政策ではなかったということを意味するんだと思うんだけれども、そこんところが、諸解説を読んでもどうにも理解するのが難しく、なおかつ中には「なんでそれだと革新的じゃなくなるの?」って疑問が出てくることもあって、なんかよくわからない。