絶対的貧困は「食うに困る状態」

どうでしょうか?さらに、簡単に言うと、こういうこと。

食料がない、家がない=絶対的貧困

周囲の人達が出来ている事が出来ない=相対的貧困

父親がいなくて、母親しかいない。しかも、母親はアルバイト。


確かに

国・地域の生活レベルとは無関係に人間が生きるのに必要な最低限の衣食住を満たす生活水準以下の層・個人を貧困と呼ぶのが「絶対的貧困」の概念といえる。

という定義がある。だから「家がない」も絶対的貧困に含まれるとはいえる。
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でも世界銀行の定義による絶対的貧困は1日1.90ドル未満(2015年に1.25ドルを変更)。そう「脱貧困ブログ」にも引用の形で書いてあるではないか。


1日1.90ドルは1ドル103円で計算すれば195.7円。これでご飯を食べて賃貸住宅に住むことはできない。1日1.90ドルだと100円のおにぎりを1日に2個食べることすらできない。これが絶対的貧困(自給自足生活をしてれば別だろうが)。

僕は、あえて、絶対的貧困相対的貧困を言葉に出さないで、絶対的貧困を貧困と呼び、相対的貧困を貧困予備軍と呼んでみたんです。

彼女やその家族は、もうすでに、生活保護が必要なガチの貧困状態にまであと数歩進むと、なってしまう状況にいるんです。

これを読めば「貧困状態」とは「絶対的貧困状態」のことだと解釈するのが当然だ。


しかし、ガチの(絶対的)貧困状態になってしまわなくても、彼女の家が本当に相対的貧困ならば、騒動が起きる前に既に生活保護が必要な家なのだ。(ただし、ぞの前にもっと家賃の安い家・地域に住むように指導されるのではないかと思うけど)


生活保護の最低生活費がいくらなのか調べてから書くのが当然だ。


しかし、そのことを知らなくても「ガチの(絶対的)貧困状態になったら生活保護が必要になる」としか受け取れないようなことを書くのはあまりにも非常識ではないか?なんでこんなことを書くのだろう?わかってないのか?わかろうとしないのか?それとも別の理由か?この人に限らず、不思議なことを書く「貧困叩き批判」の人が数知れずいるのだ。


もちろん、日本の生活保護制度は、絶対的貧困にならなければ受給できないなんて厳しい制度ではない。生活保護基準を下回り、資産が無く、親族からの援助がなければ受給資格がある。制度的には。ただし、

所得が生活保護支給基準以下となっているひとのうち、実際に生活保護制度を利用している人の割合のことを一般的に「捕捉率」というが、実質的には制度の利用率だと言えるため、捕捉率(利用率)と以下表すこととする。

この捕捉率(利用率)は、統計によると、ドイツでは64.6%、イギリスでは47-90%、フランスでは91.6%なのに対し、日本は15.3-18%となっている[38]

生活保護 - Wikipedia

と、日本では所得が生活保護支給基準以下なのに受給していない人が85%程度いる。それがなぜなのかは俺はよくわからない。所得のみの統計だから資産があるのかもしれない。また正直に所得を申告していない人もいるのかもしれない。しかし、ネットで検索してみると生活保護は意地でももらわない」みたいな母子家庭の母親も少なからずいる。このあたり複雑な事情がいろいろあるのではないかと思う。