文系脳と理系脳と「文学脳」

文系脳と理系脳ということがよく言われる。

理系は理屈っぽくて論理的な思考を好み、文系の人は発想力が豊かだけれど複雑な話が苦手といわれます。

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もちろん、文系だから文系脳、理系だから理系脳なんてことではなく例外はいっぱいあるだろうけれども、ある程度の傾向はあるだろうとは思う。右脳・左脳とかいった話になるとちょっと眉唾くさいが、俺は文系なのでわからん。


だが、いくら文系だからといって、論理的な思考をしないなんてことは全くなく、複雑な数学はともかく計算だってする。しかしここ最近のあれこれを見るに、それすらできない人がいっぱいいるようだ。


これを何て呼べばいいのかと考えるに「文学脳」と呼ぶのが適切ではないかと思う。


いや文学者だって論理的思考もするし計算もする。それはわかってる。でも「文学脳」が相応しいと思うのは、


彼らは文字から受け取るイメージと、過去に見聞きした類似の「物語」のみで思考している


と思われるからだ。


具体的には「相対的」「絶対的」という言葉から受け取るイメージのみで思考し実際の数字を重視しない。過去にあった類似の「物語」、たとえば生活保護でパチンコしてはいけないのか?回転寿司に行ってはいけないのか?といった話題で使われた論理を借用して済ませる。そこから両者の類似点と相違点を考えようなんてことは思いもよらないらしい


まあ、こんな弱小ブログでほざいてもどうしようもないが、「文学脳」っていい言葉思いついたと自画自賛


※ なお念のため「文学脳」で検索したら、あるにはあった。どういう意味で使ってるのかはよくわからん。