司馬遼太郎が言いたかったこと

NHK「坂の上の雲」に申し入れ 有識者指摘、原作の認識誤り - 47NEWS(よんななニュース)

 NHKで29日から放送の司馬遼太郎さん原作のスペシャルドラマ「坂の上の雲」をめぐって、有識者らのグループが26日、原作に「歴史認識の誤り」があるとして、慎重に対応するよう同局に申し入れた。

 申し入れたのは「『坂の上の雲』放送を考える全国ネットワーク」など。原作について「日露戦争を『祖国防衛戦争』と記しているが、ロシアが日本を侵略しようとしていたことを示す歴史的事実はない」と指摘。「著作権に一定の配慮をした上で、訂正や補足が必要」としている。

 記者会見した呼び掛け人の醍醐聡東京大教授は「NHKは深刻な問題を扱っているという認識がない」と批判した。
2009/11/26 17:37 【共同通信

醍醐聡って人は「有識者」には違いないけど歴史学者じゃなくて財務会計の専門家。俺がブログをはじめた頃に話題になってたNHKの従軍慰安婦番組の件でも良く名前を見た人。どうみてもバリバリの左翼です。


それはともかく、この「坂の上の雲」のドラマ化問題って、俺がこの小説を読んだのは15年以上前だけれど、その頃から既に言われていたと思う。争点はやっぱりこれなんだろう。ただし、司馬史観が右翼に受け入れられているかというと、そうでもないだろう。なぜなら司馬史観では日露戦争までは良かったが、その後は駄目になったって歴史観だから。



で、俺は今、手元に「坂の上の雲」がないし、読んだのは昔のことなんで、司馬氏が正確に何と言っていたのかがわからない。検索しても見つからない。だからあくまで想像なんだけれど…


司馬氏は日露戦争を「祖国防衛戦争」だと言ってるわけですよね。しかし、左翼は「祖国防衛戦争」などではないと主張するだろうし、一方右翼の中には太平洋戦争だって「祖国防衛戦争」だと主張する人もいるでしょう。何をもって「祖国防衛戦争」だとするかは人によって違うわけです。


俺は、司馬氏が日露戦争を「祖国防衛戦争」だと言った理由は、日露戦争単体を見てそう言ったのではなく、その後の「太平洋戦争」等と比較した上でそう言っているのだろうと思います。日露戦争が「祖国防衛戦争」で、太平洋戦争がそうでないという、その違いは何だと考えていたのかが、司馬氏の言いたかったことを理解するために重要なことなんだと思います。


で、それは想像するしかないんだけれど、まず「祖国防衛戦争」とは何かということを考えてみる必要があるんじゃないかと思うわけです。それはそんなに難しく考える必要はなくて、要するに「日本人のための戦争」だということになるんだと思います。別の言い方をすれば「利己的な戦争」ってことです。こういう言い方をすると反発食らうかもしれないけれど。


それに対し、その後の日本は「五族協和」だとか「大東亜共栄圏」だとかいった「理念による戦争」をしていった。そこが違うのではないかと思いますね。左翼からすれば、そんな理念は建前にすぎず、本質は「日本人のための戦争」だったってことになるかもしれないけれど、そういう見方だと話が見えなくなってしまうと思うんですね。


そんで、当時も、そして現在も、「利己的な戦争」は悪であり、「理念による戦争」は正義であるという感覚がある。ただし、「利己的な戦争」に普通、防衛戦争は含まないし、さらに「防衛」を口実にした侵略戦争という話もあるので単純ではない。「理念による戦争」も、批判者側からすれば侵略戦争になるので話は複雑。しかし基本は、「(本物の)理念による戦争>利己的な戦争」ってことになるでしょう。


だが、そういう認識とは異なる認識もある。

ウィンストン・チャーチルは書いている。「戦争はかつては残忍で壮大であったが、いまでは残忍で卑小である。」科学と民主主義のおかげで、だれもが大平等主義者気どりでいる、とチャーチルはつけ加えている。チャーチルのことばに歴史的な広がりと深みをあたえ、国民国家の人口的および政治的基礎の拡大と、それに伴う西欧における戦争の様式全体の拡大との間に緊密な関係があることを歴史的に詳細に示したのは、保守主義者であったフラー少将であった。すなわち、戦争が人間的な面で巨大化したこと、破壊的な兵器が絶えず増大していったこと、そしてなかんずく領土上および王朝の目的からイデオロギー的および道徳的な目的へと目的が拡大していったことである。フラー、ドーソン、チャーチル、その他の保守主義者が強調しているように、封建時代の戦争は、テクノロジーや戦争に加わる人数、騎士道精神、奉仕すべき契約ないし義務の限定、教会の禁止命令などによって、ほとんどあらゆる面で制限されていた。それにひきかえ、第二次世界大戦の開始とともに西欧の民主社会は、無制限な目標、無条件降伏条項、何千万単位で人々を殺りくできる兵器、たった一年間でこれまであったすべての戦争を合計したよりも大きな死と破壊をもたらしうる段階にまで達していた。

(『保守主義 ― 夢と現実』ロバート・ニスベット著 昭和堂


司馬遼太郎の言いたかったことも、このような文脈で理解するべきなのではないかと、俺は思うんですよね。