豊臣秀吉と「猿」(その1)

豊臣秀吉が出てくるテレビドラマを見ると、織田信長織田家中の人物が秀吉のことを「猿」と呼んでいる場面が良く出てくる。今期の大河でも呼んでたと思う。


ところが、『真書太閤記』や『絵本太閤記』によれば、秀吉は幼い頃に「猿之助」と近隣の者に呼ばれていたとある。全て読んだわけじゃないけれど、信長に仕えてからは「藤吉郎」と書いてあると思われ。秀吉がその頃になっても「猿」と呼ばれていたかわからない。


もし、信長時代にも「猿」と呼ばれていたのなら、子供の頃のあだ名が大人になって就職してからも職場で呼ばれているようなものだ。そんなことは滅多にないように思われる。あったとしたら秀吉の顔に余程のインパクトがあったということなのだろうか?


しかし、信長時代の秀吉が「猿」と呼ばれていたという確かな証拠はない(あるという主張もある。後述)。だが、「猿に似ている」という史料なら存在する。


このあたりが非常に不思議だ。秀吉について書かれた本を読んでも、どうも納得がいかない。というか感覚的なことばかり書いてあって説得力がない。


もっと史料的を精査して深く検討する必要があると思う。いや、やっているのかも知れないけれど、こっちにも詳しくそれを教えて欲しい。