小瀬甫庵史観

「歴史学と伝説の歪曲」の続き。


上の記事をなぜ書いたかといえば、小瀬甫庵の『太閤記』をどう評価するのかということと関係するから。


このことについては前にも
秀吉「中国大返し」の謎(その4)
で書いた。


小瀬甫庵は織豊期の研究者の評判が悪い。ボロクソに批判しているものも多い。


しかし、なぜ小瀬甫庵が批判されるのかといえば、「史実ではない」という点では一致しているものの、「著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変」だったり「面白くするために虚構を入れた「読み物」」だったりして一致しない。両者は全く別の意味を有する。


※ちなみにウィキペディアで調べたその他の甫庵の評価。


既に書いたように「史実と違う」といったって、それには色々なものがある。完全に虚構の創作もあれば、伝説を忠実に記録したものもあれば、著者の主観に基づくものもある。


そもそも論として、著者が何もかも本当のことを知っていたとは限らない。というか、何もかも知っているなんてことの方が極稀なことだろう。現代のことについてだって現代人が知っているかといえばそんなことはない。たとえば芸能人夫婦の離婚理由について、ワイドショーや週刊誌はあれこれ書くだろうけれど本当のことだとは限らない。芸能人の身近な人だって本当のことを知っているとは限らない。本人が理由を説明したってそれが本当のことだとは限らない。


俺の見るところでは小瀬甫庵はきわめて真面目な人間だと思う。しかし真面目だからといって書かれたものが真実だとは限らない。


で、少し考えて欲しいのだけれど、現代の歴史家は「史料批判」というものをやる。というかやらねばならない。史料に書いてあるものを素朴に本当のことだと信じて、そのまんまを人々に伝えるだけでは歴史家失格だと考えられている。


俺が思うに、小瀬甫庵という人もそういう史料批判精神の持ち主だったのではなかろうか?聞いたことを素直に記録するのではなくて「真実はこういうことなのだ」と考えて、その「真実」を書物にした。


それが結果的に間違っていた。そういうことなんじゃなかろうか?


つまり、やってることは現代の歴史家と同じであって、小瀬甫庵は現代の歴史家の大先達ではないのか。史料に書いてないのに「秀吉は継父にいじめられた」とか「義父の世話になるのをこころよしとしなかったので家を出た」とか書く歴史家の。

一方で甫庵の著書は、面白くするために虚構を入れた「読み物」であり、小瀬甫庵が「歴史家」ではなく「作家」であることには留意しなければならない。甫庵は太田牛一を「愚にして直な(正直すぎる)」と侮蔑の意を込めて評し、実際に牛一の『信長公記』が写本でしか伝えられなかったのに対し、甫庵の『信長記』はベストセラーとなって広く大衆に親しまれた。

小瀬甫庵 - Wikipedia


ウィキペディアのこの記事の著者は「愚にして直な」を、「正直に本当のことを書いて面白くない」というような意味で受け取っているようにみえるけれど、「愚にして直な」は果してそのような意味なのか?


甫庵の言いたかったことは「聞いたことを真実だと馬鹿正直に信じている」というような意味ではないだろうか?小瀬甫庵は巷に流布する秀吉神話をくつがえそうとしていたのではないのか(現代の歴史家のように)。もちろん、くつがえした結果が正しいとは限らない、むしろ新しい秀吉神話を作るという結果になることもある(現代の歴史家のように)。


そのように考えて甫庵の『太閤記』を読んでみれば、今までとは違ったものが見えてくるかもしれない。



※あとよく言われるのが、堀尾吉晴についての虚飾があるということ(甫庵は吉晴の家臣)。これは、まあ、あったのだろう。