大石内蔵助の剣術修行

昨日

元禄6年に内蔵助は赤穂藩の家老であり、翌年には改易となった備中松山藩の城明け渡しという重要な任務を担っている。その彼が城を留守にして京都に遊学するというのはおよそ有り得ないことだろう。

と書いたんだけれど、この認識は過っていたようだ。


『全国義士会連合会会報 平成22年12月 第27号』
会報のページ
によると、大石内蔵助の剣術修行は元禄四年秋八月の末から元禄五年六月二十五日までという長期のものだそうだ。


これはびっくり。


※ しかし筆頭家老が他藩にそんな長期滞在するなんて、何かよからぬことを企んでいるのではないかと幕府に疑われる危険はないんだろうか?なんか腑に落ちない。