2017-01-01から1年間の記事一覧

「西上」とは何か?(その3)

さらに追加。平山優氏の『武田信玄』に いずれにせよ、武田信玄の西上は上洛が目的であり、その前提として信長を滅亡させるべく進軍中であることは、当時の人々に広く信じられていた。 とある。繰り返すが、俺は「西上」とは京都に行くことだと考えており、…

「西上」とは何か?(その2)

「西上」を歴史学者がどういう意味で使っているのか?図書館で調べるべきところだが手っ取り早くネット検索。 小和田哲男氏は『<武田信玄 上杉謙信 北条氏康と戦国時代>徹底比較!三英雄統治ノウハウ』(歴史群像)で そこで問題になるのが元亀三年(一五…

「西上」とは何か?(その1)

元亀3年(1572年)9月から元亀4年(1573年)4月にかけて行なわれた甲斐武田氏による遠征のことを「西上作戦」という。この「西上」という言葉が気になっている。歴史好きには耳慣れた言葉だがweb版の「大辞林」「大辞泉」に「西上」という項目は無い。広辞苑…

アマテラスを祀った神社と津波被害(その2)

昨日の件だけれどこの論文に対する批判は半分当たってて半分的外れなのではないかと思う。 一般論で言えば祭神の変化は確かにあるだろう。俺の知ってるケースだと近世・近代にな延喜式内社に比定されて祭神が変化するというのがある。比定そのものが怪しいケ…

アマテラスを祀った神社と津波被害

⇒「スサノオを祀った神社の多くは被災を免れている」?神社の祭神と東日本大震災の被害との関連を調べた研究が面白い - Togetterまとめ ⇒神社の祭神によって災害の被災が変わるのか?という見方への疑問 - Togetterまとめ ツッコミもあるけど面白い研究だと…

徳川家康正妻はなぜ「築山殿」と呼ばれるのか?(その2)

本当は今日続きを書くつもりでなかったのだが、新情報が続々と見つかるので。 当初俺は築山殿惣持尼寺説を疑っていた。今も疑っている。だが調べていくうちに、惣持尼寺と縁がある築山稲荷に関しては、これこそが築山殿と呼ばれた理由の可能性が高いように思…

徳川家康正妻はなぜ「築山殿」と呼ばれるのか?

徳川家康正妻に関する同時代史料は極めて少ない。我々は彼女のことを「築山殿」と呼んでいるけれども、彼女の生前にそう記録された史料は無いのではないかと思われる。また家康在世中にも無かったのではないかと思われる。そのことはもちろん彼女が築山殿と…

雑記:もう一人の「次郎法師」

大河ドラマが井伊直虎に決まったというニュースが流れて以降「女城主は他にもいるよね」という話題をしばしば目にした。割と有名なのは立花宗茂の妻とか、岩村城のおつやの方とか。俺が前々から関心があったのは曳馬城の飯尾豊前の妻で江戸時代には直虎(と…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その4)

昨日も引用したけれど 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故、次郎法師は最早出家に成り申し候上は是非に尼の名付け申したきと、親子の間黙止難く、備中次郎と申す名は…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その3)

昨日も少し触れたが 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故、次郎法師は最早出家に成り申し候上は是非に尼の名付け申したきと、親子の間黙止難く、備中次郎と申す名は井…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その2)

『井伊家伝記』において、南渓和尚が出家する井伊直盛の娘に「次郎法師」の名を与えたのは、 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故 一度は亀之丞と夫婦になるはずであ…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?

⇒直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料 新史料の信憑性についてはわからないけれど、この問題についての議論で気になっているのが『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?ということ。『井伊家伝記』はもちろん二次史料であって信用性は劣…

「独逸」について(その3)

新たに見つけた情報 ⇒「独逸」メモ | taggaの日記 | スラド 『泰西図説』とは ドイツ人ヨハン・ヒュブネルの著『古今地理学問答』(1693年刊)のオランダ語訳本は、蘭学者の間で『ゼオガラヒー』(オランダ語で地理学のこと)と呼ばれていました。『泰西図説…

「独逸」について(その2)

中国ではドイツを「紱意志」と書く。日本では「徳」は「トク」だがピンインでは「dé」。 ふと「獨」はどう読むのかと思って調べたら「dú」だった。そして「逸」は「yì」となる。そして「都」は「dū」。すなわち「獨逸都」は「dú-yì-dū」。これでは「ドイツ」…

「独逸」について

⇒東京新聞:「独」国名の当て字やめて 漢字愛するドイツ人・八王子のシュミッツさん:首都圏(TOKYO Web) <京都大人文科学研究所付属東アジア人文情報学研究センターの安岡孝一教授(人文情報学)の話> 国名の当て字の由来ははっきりしない部分が多いが、ドイ…

キノシタ トウキチ

これは10年以上前から気になってることなんだけれども、あまりにも突飛すぎるんで今まで書かないでおいた。このまま埋もれさすのも何なので、専門家だったら気になっても口に出来ない代物だと思うけど、そこは素人の気楽さで書いておく。 「モミジガサ」とい…

豊臣秀吉の誕生日について(その3)

次に日蓮と秀吉の出自について。 日蓮は『本尊問答抄』で「海人が子なり」、『佐渡御勘気抄』に「海辺の施陀羅が子なり」、『善無畏三蔵抄』に「片海の石中の賎民が子なり」、『種種御振舞御書』に「日蓮貧道の身と生まれて」等と述べている。 ⇒日蓮 - Wikip…

豊臣秀吉の誕生日について(その2)

遠い昔に没した人物が時を経て忌日の翌日に輪廻転生したという考え方が戦国時代に少なくとも一件はあった。『日蓮聖人註画讃』である。 この考え方がいつ頃からあったのか?日蓮以外にも適用された人物がいるのか?俺は無知だから全く知らない。大昔からあり…

豊臣秀吉の誕生日について

「日蓮は釈迦の生まれ変わりという説について」のつづき唐突ではあるが日蓮の誕生日から秀吉の誕生日の話に移る。 秀吉の誕生日については多くの本で触れられているが、ほぼ桑田忠親氏の説を踏襲したものである。江戸時代成立の『太閤素性記』に天文5年(153…

日蓮は釈迦の生まれ変わりという説について

『日蓮―われ日本の柱とならむ』 (ミネルヴァ日本評伝選 佐藤弘夫)に 誕生日は、日蓮自身の著作では触れられていない。日蓮の孫弟子にあたる日道が著した『御伝土台』(日蓮ら祖師の伝記)に、二月一六日という日付がはじめて現われる。仏教の始祖である釈迦…

後藤又兵衛の首(その6)

NHKの問題の記事。「大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最期を記す史料発見」11月17日 12時10分(掲載期間が過ぎてるので今は見れない)。俺はNHK NEWS WEBにあったこの記事を後々役に立つこともあるかと思いコピペして保存してた。動画は見てなかった。 調…

私の小さな家

Bonobo : No Reason (feat. Nick Murphy) なんかすごいね。「四畳半神話大系」のオープニングに若干似てるけど。

後藤又兵衛の首(その5)

日曜日に体調悪化の兆しがあって火曜日には40度超えて意識朦朧になった。立ち上がって歩こうとしても意志に反して変な方向に向かって数歩で倒れこむ始末。未だに平熱より高いけれど少し落ち着いてきたので久々にネットチェックしようとしたらどんでもないこ…