歴史と伝説

古文書解読(その1)

⇒専門家解釈との差異 - re:know にある古文書解読にチャレンジ。なお俺は関東の歴史に全く無知。 わさと申上候、さては一日御文くたし給候、かたたよりにて候ほとに、御返事にて申さす候、さてはわかきミさま御うつり、六月ニさたまり申候や、御めてたく候、…

「西上」とは何か?(その7)

そろそろ一区切りをつけないと先に進まない。だがこんだけ長々と書くのは、俺から見れば明らかにおかしいだろと思う「西上」の使用法を学者でさえ用いているからだ。学者に立ち向かうにはこんだけ説明してもまだ足りないのだろう。史料から「西上」その他の…

「西上」とは何か?(その6)

「西上」があるなら「東上」があり、また「西下」があって「東下」があるはずだ。 この中で一番有名なのは「東下」だろう。 都から東の方へ行くこと。京都から東国へ行くこと。あずまくだり(大辞林 第三版) では「西下」は?原理的にはありえるが、俺には…

松平信康の岡崎退城について

これ、平成24年の「永井直勝とその一族」展で、信康事件を扱ってて(直勝は大浜出身なので)、そこに展示されてた(たしか)家忠日記補遺に、信康は大浜に自ら退去したこと、一度岡崎に申し開きに行き、また大浜に戻ったこと…が書いてあった覚えが https://t.co/…

「西上」とは何か?(その5)

引き続き「国立国会図書館デジタルコレクション」より ・『織田時代史』田中義成 著 (明治書院, 1926) 第二十三章 武田信玄の西上計畫 これも「西上」とは何かがわかりにくい。ただし「第二十五章 武田勝頼の活動」に 信玄卒するに臨み、勝頼に遺命し、宿痾…

「西上」とは何か?(その4)

「国立国会図書館デジタルコレクション」で「西上」を調べてみる。「西上」だけでは余計なものも引っかかるのでNDC分類「歴史」で絞り込むと78件あった。 ・『安土桃山時代』(国民の日本史 ; 第8編) / 西村真次 著 (早稲田大学出版部, 1922)第一節 信長の西…

「西上」とは何か?(その3)

さらに追加。平山優氏の『武田信玄』に いずれにせよ、武田信玄の西上は上洛が目的であり、その前提として信長を滅亡させるべく進軍中であることは、当時の人々に広く信じられていた。 とある。繰り返すが、俺は「西上」とは京都に行くことだと考えており、…

「西上」とは何か?(その2)

「西上」を歴史学者がどういう意味で使っているのか?図書館で調べるべきところだが手っ取り早くネット検索。 小和田哲男氏は『<武田信玄 上杉謙信 北条氏康と戦国時代>徹底比較!三英雄統治ノウハウ』(歴史群像)で そこで問題になるのが元亀三年(一五…

「西上」とは何か?(その1)

元亀3年(1572年)9月から元亀4年(1573年)4月にかけて行なわれた甲斐武田氏による遠征のことを「西上作戦」という。この「西上」という言葉が気になっている。歴史好きには耳慣れた言葉だがweb版の「大辞林」「大辞泉」に「西上」という項目は無い。広辞苑…

徳川家康正妻はなぜ「築山殿」と呼ばれるのか?(その2)

本当は今日続きを書くつもりでなかったのだが、新情報が続々と見つかるので。 当初俺は築山殿惣持尼寺説を疑っていた。今も疑っている。だが調べていくうちに、惣持尼寺と縁がある築山稲荷に関しては、これこそが築山殿と呼ばれた理由の可能性が高いように思…

徳川家康正妻はなぜ「築山殿」と呼ばれるのか?

徳川家康正妻に関する同時代史料は極めて少ない。我々は彼女のことを「築山殿」と呼んでいるけれども、彼女の生前にそう記録された史料は無いのではないかと思われる。また家康在世中にも無かったのではないかと思われる。そのことはもちろん彼女が築山殿と…

雑記:もう一人の「次郎法師」

大河ドラマが井伊直虎に決まったというニュースが流れて以降「女城主は他にもいるよね」という話題をしばしば目にした。割と有名なのは立花宗茂の妻とか、岩村城のおつやの方とか。俺が前々から関心があったのは曳馬城の飯尾豊前の妻で江戸時代には直虎(と…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その4)

昨日も引用したけれど 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故、次郎法師は最早出家に成り申し候上は是非に尼の名付け申したきと、親子の間黙止難く、備中次郎と申す名は…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その3)

昨日も少し触れたが 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故、次郎法師は最早出家に成り申し候上は是非に尼の名付け申したきと、親子の間黙止難く、備中次郎と申す名は井…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?(その2)

『井伊家伝記』において、南渓和尚が出家する井伊直盛の娘に「次郎法師」の名を与えたのは、 両親御なげきにて、一度は亀之丞と夫婦になさるべきに、様を替え候とて尼の名をは付け申すまじき旨、南渓和尚に仰せ渡され候故 一度は亀之丞と夫婦になるはずであ…

『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?

⇒直虎は「女城主」ではなかった? 別の男性とする新史料 新史料の信憑性についてはわからないけれど、この問題についての議論で気になっているのが『井伊家伝記』は正しく読まれているのか?ということ。『井伊家伝記』はもちろん二次史料であって信用性は劣…

「独逸」について

⇒東京新聞:「独」国名の当て字やめて 漢字愛するドイツ人・八王子のシュミッツさん:首都圏(TOKYO Web) <京都大人文科学研究所付属東アジア人文情報学研究センターの安岡孝一教授(人文情報学)の話> 国名の当て字の由来ははっきりしない部分が多いが、ドイ…

キノシタ トウキチ

これは10年以上前から気になってることなんだけれども、あまりにも突飛すぎるんで今まで書かないでおいた。このまま埋もれさすのも何なので、専門家だったら気になっても口に出来ない代物だと思うけど、そこは素人の気楽さで書いておく。 「モミジガサ」とい…

豊臣秀吉の誕生日について(その2)

遠い昔に没した人物が時を経て忌日の翌日に輪廻転生したという考え方が戦国時代に少なくとも一件はあった。『日蓮聖人註画讃』である。 この考え方がいつ頃からあったのか?日蓮以外にも適用された人物がいるのか?俺は無知だから全く知らない。大昔からあり…

豊臣秀吉の誕生日について

「日蓮は釈迦の生まれ変わりという説について」のつづき唐突ではあるが日蓮の誕生日から秀吉の誕生日の話に移る。 秀吉の誕生日については多くの本で触れられているが、ほぼ桑田忠親氏の説を踏襲したものである。江戸時代成立の『太閤素性記』に天文5年(153…

日蓮は釈迦の生まれ変わりという説について

『日蓮―われ日本の柱とならむ』 (ミネルヴァ日本評伝選 佐藤弘夫)に 誕生日は、日蓮自身の著作では触れられていない。日蓮の孫弟子にあたる日道が著した『御伝土台』(日蓮ら祖師の伝記)に、二月一六日という日付がはじめて現われる。仏教の始祖である釈迦…

後藤又兵衛の首(その6)

NHKの問題の記事。「大坂夏の陣で討ち死に 後藤又兵衛の最期を記す史料発見」11月17日 12時10分(掲載期間が過ぎてるので今は見れない)。俺はNHK NEWS WEBにあったこの記事を後々役に立つこともあるかと思いコピペして保存してた。動画は見てなかった。 調…

後藤又兵衛の首(その5)

日曜日に体調悪化の兆しがあって火曜日には40度超えて意識朦朧になった。立ち上がって歩こうとしても意志に反して変な方向に向かって数歩で倒れこむ始末。未だに平熱より高いけれど少し落ち着いてきたので久々にネットチェックしようとしたらどんでもないこ…

一次史料と二次史料と不毛な論争

井伊直虎が男であったか、女であったかは論争になりそうだが、一次史料では今のところ証明できそうにないので、どうせ二次史料による検証となろう。そうなると、不毛な論争が勃発し、単なる中傷合戦になりかねない。不毛である。もし仮に直虎が実は男だった…

後藤又兵衛の首(その4)

前の記事に引用した本郷氏の解釈によれば、又兵衛は小姓の長四郎に脇差「行光」を渡し、これで首を打って秀頼に討死の様子を報告せよと命じた。だが長四郎は又兵衛の首を打つことができず、行光だけを秀頼のもとに持参したということになる。 たしかにこの解…

後藤又兵衛の首(その3)

前の記事で 金万平右衛門が首を討ったというのは新出史料にそう書いてあるのではなくて、既出史料と総合して判断するとそう考えられる と書いたんだけれども、よく考えたらどうもそうではなさそうだ。岡山県立博物館の見解ではこの新史料にそう書いてあると…

後藤又兵衛の首(その2)

新たな情報を見つけたので、マスコミの報道を検証してみる。NHKは それによりますと、又兵衛の下で戦っていた武将、金万平右衛門が、ひん死となった又兵衛の首を、秀頼から又兵衛に与えられていた刀で落とし、秀頼に刀を返したと記されています。また、そ…

後藤又兵衛の首

⇒【本郷和人の日本史ナナメ読み】大坂の陣と後藤又兵衛(下)古文書精査で報道との相違点が…又兵衛の首はどこへ? 2人の小姓はいたのか?(1/3ページ) - 産経ニュース後藤又兵衛の最期について書かれた史料について、現物を見たら報道とは異なっていたとい…

『難波戦記』と『難波戦記』

このまえ「幸村と云は誤なり」と水戸光圀が書いたと云は誤なりという記事を書いたときに、真田「幸村」の初出史料は『難波戦記』だとされているということを書いた。 この『難波戦記』は軍記物語である。ところが、これを講談の『難波戦記』と混同してる人が…

民俗学について

例の井伊直虎の件で「民俗学」についても論じられているものをちょくちょく見かけるんだけれど、そもそも「民俗学」とは何か? 民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究する学問。英国に起こり、日本では柳田国男・折口信夫…