歴史と伝説

付喪神について(その12)

『付喪神記』は内容に矛盾があるように見える。矛盾してると断言できれば話は割と簡単だけれど、もしかしたら矛盾ではないかもしれないと考えて理解しようとすると、何通りもの可能性が出てきて深みにはまってしまうのであった。 陰陽雑記に云ふ。器物百年を…

付喪神について(その11)

こゝに康保の頃にや、件の煤払とて、洛中洛外の在家より取出して、捨てたる古具足ども、一所に寄り合ひて評定しけるは、「さても我等、多年家々の家具となりて、奉公の忠節を尽したるに、させる恩賞こそなからめ、剰へ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかゝる事…

付喪神について(その10)

付喪神についてはまだまだ論じたいことがある。きりがない。 『付喪神記』より。 既に其の夜にもなりしかば、古文先生の教への如く、各其の身を虚無にして、造化神の懐に入る。彼等すでに百年を経たる功あり、造主に又変化の徳を備ふ。かれこれ契合して忽ち…

付喪神について(その9)

茶器の「九十九髪茄子」についてはもう少し調べてから書こうと思ってたんだけど、さっき別件調べてたら面白い話みつけたのでそれについて 加賀国金沢藩主前田利常の言行録『微妙公御夜話』という史料がある。そこに 一、御家のつくも髪の茶入、京都より売り…

付喪神について(その8)

付喪神といえば器物の妖怪だということで、日本・中国あるいは朝鮮の器物妖怪との比較研究がもっぱらなされているの。しかしながら年を経ると妖怪化するのは何も器物に限ったことではない。そのもっとも代表的なものは猫又であろう。ところがネット検索して…

付喪神について(その7)

「付喪神」についてのここまでの俺の推理まとめ 「つくもがみ」とは本来は妖怪でも何でもなく単なる「不用になった古道具」のこと(使用年数も関係ない)。 「つくもがみ」の名前の由来は『伊勢物語』の「つくも髪」から 「つくも髪」=白髪=高齢女性=男か…

「淀君」が蔑称だという珍説(追記その3)

『絵本太閤記』の「淀殿」「淀君」 勝家籠北庄城 此姉姫は後に秀吉公の妾秀頼の御母堂淀君と申せしは此御方也 佐々成政生害 此ころ天下の美人且秀才と時めきて秀吉公の御覚も他に勝りたる淀殿に見せばや此人いかに賢くとても此花の出所は知られまじと黒百合…

「淀君」が蔑称だという珍説(追記その2)

まあ「淀君」という名称がイレギュラーだというのはその通りだろう。彼女は豊臣家の人間といっても、彼女は「浅井氏」であり、「藤原姓」で「豊臣姓」ではないと考えられるから、摂家の女性に与えられる「君号」というのも正確ではない(ここのところ無知な…

「淀君」が蔑称だという珍説(追記)

「淀君」が彼女を貶めるために遊女のイメージを植え付けたというのは俺にとって非常に厄介な問題なのだ。というのも俺は俺で彼女と遊女の関係が気になってるから。ただし、それは貶めるためといったこととは別次元の話として。といってもこれは空想の話でし…

「淀君」が蔑称だという珍説

もう8年も前に書いたことだが、改めて書いてみる。「淀君」が蔑称だという説は小和田哲男氏と田中貴子氏がほぼ同時期に主張した。小和田氏の方が早いが、田中氏はそれを知らなかった由。 そもそも、通称の淀君という名前からして悪意にみちた意図的なネーミ…

付喪神について(その6)

先に『付喪神記』は『付捜神記』だという仮説を立てたが、よくよく考えれば同様にしてもう一つの可能性が浮かんでくることにも気づいた。『付喪・神記』である。「付喪」は「ふそう」と読め、すなわち「扶桑=日本」に通じる。 これまた突飛な考えだというこ…

付喪神について(その5)

「付喪神」が「つくも髪」に由来することはほぼ疑いないと思っている。次の問題はなぜ「つくもがみ」を「付喪神」と漢字表記するのかということ。これについて解説してるものは見つからなかった。俺は今まで「狐憑き」などの「憑き」と同じで憑依するという…

付喪神について(その4)

『付喪神絵巻』以前に付喪神なる妖怪は存在したのか?これは重要な問題 だが確実なことはわからない。個人的には『付喪神絵巻』による創作の可能性が高いと思う。今後その前提で考察を進める。 なぜ『付喪神絵巻』は器物の妖怪を「付喪神」と呼んだのか?当…

付喪神について(その3)

先に「『付喪神絵巻』以前に「付喪神」という名前の妖怪に関する伝承や信仰は無かった可能性が非常に高いのではないか」と書いたけれども新情報。 正応4年(1291)の奥書がある河野美術館蔵『伊勢物語註 冷泉流』に もゝとせに一せたらぬつくもかミと云ハ、…

付喪神について(その2)

そもそも論として『付喪神絵巻』はどこまで信用できるのか?もちろん付喪神など実在しないのは当然だが、そういう意味ではなくて『付喪神絵巻』に書かれていることは、どの部分が著者の創作で、どの部分がそれ以前から存在していた話なのかということ。 陰陽…

付喪神について(その1)

名前だけは聞いたことがあるけれども、付喪神とは何かということをちゃんと考えて見たことはなかった。「付喪神(つくもがみ)」の「つくも」とは「九十九」のことだということさえ、言われてみれば確かにと思うけど、今まで気付いていなかった。なぜ「九十…

近衛前久書状(石谷家文書)の解釈

なんか妙なことになってる。 とりあえず簡潔に 俺の解釈では 一昨年の冬、 安土城においていろいろと(わたくし前久のことを)悪し様に 信長に告げる者がいて 既に(わたくし前久が良くない者であるということに)決着した ように なっているところで、わた…

『兼見卿記』の謎

ちょっと気になったので簡潔に。 『兼見卿記』天正10年には正本と別本がある。一般的には別本には都合の悪いことが書かれていたので書き直されたと言われてる。都合が悪かったはずなのに、なぜか廃棄されずに残っていて、両者を比較すればどの部分が都合が悪…

ヤマトタケルとは何者か?(その2)

⇒「ヤマトタケル」(澤井 理乃)より 古事記中巻が持つテーマは、天皇の世界のもととなる神話的な部分の上巻をうけて、天皇が中心となる世界の成り立ちを語ることにあった。神武天皇から応神天皇までの間で、天皇の秩序の世界が確立されていき、下巻では完成…

ヤマトタケルとは何者か?

日本神話にも関心があって、そっちも書きたいんだけどなかなか書けないでいる。ちょっとストレスが溜まってきたので、久しぶりに書いてみる。俺は現在の日本神話の理解は根本的なところで間違っていると思う(なんてことを言うとトンデモになってしまうのか…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について(推理篇)

ここまでにわかったこと・メッケルは参謀旅行で関ケ原に行ってない ・後任のビィルデンブルヒは参謀旅行で関ケ原に行った参謀旅行とは参謀が現地に行って東軍と西軍に分かれ、地形・兵站等を考慮しながら作戦を立てて争ういわば大規模なウォー・シミュレーシ…

猿帰候て

⇒豊臣秀吉と「猿」(その2) - 国家鮟鱇 猿帰候て、夜前之様子具言上候、先以可然候、又一若を差遣候、其面 無油断雖相聞候、猶以可入勢(精)候、各辛労令察候、今日之趣徳若ニ可申 越候也、 (『織田信長文書の研究〈下巻〉』奥野高広 昭和45) 猿帰候て、…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について(追記)

『児玉源太郎』(宿利重一)によれば、参謀旅行の始めは明治18(1885)だということで、「官報. 1885年11月13日」に 〇陸軍大学校学生参謀旅行ノタメ歩兵大佐岡本兵四郎及同校御雇教師独逸国人メツケル等ハ去ル六日茨城県下総国北相馬郡取手駅ニ著セリ とあ…

続・メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話について

アクセス解析の機能が無いので正確なところはわからないけれども、このブログの中で一番読まれていると思われる記事。 ⇒メッケルが関ヶ原は西軍の勝ちと言ったというのはガセという話についてネット検索して簡単に見つかった情報をまとめて、ちょこっと感想…

古文書解読(その4)

書き忘れがあったので追記。 ご教示ありがとうございます。「細事」は気づきませんでした。後文の「証し」とどう繋がるかという点と、この文書では「事」が閉じられた表記なので「さい事」となる点、葛西・岩付は結城と小田との境目ではない点、といった部分…

古文書解読(その3)

高村不期さんの記事によれば、『北条氏康の子供たち』(宮帯出版社 2015年)所収の「浄光院殿― 足利義氏の室」(長塚孝)に 天文19年のこと、結城政勝は若君が六月に葛西か岩付へ移座する可能性を問い合わせている(「結城家譜草案」『埼玉県史料叢書』12)…

古文書解読(その2)

引き続き私訳を続けるべきだが正直しんどい。 たゝいかやうにあつてもうつし被申あるましき、御ゆふと存申候、 ※ 「御ゆふ」の意味がわからない。大意は「北条氏康の出兵は御移りの障害となるという公方の考えは何があっても動かしがたい」ということだと思…

古文書解読(その1)

⇒専門家解釈との差異 - re:know にある古文書解読にチャレンジ。なお俺は関東の歴史に全く無知。 わさと申上候、さては一日御文くたし給候、かたたよりにて候ほとに、御返事にて申さす候、さてはわかきミさま御うつり、六月ニさたまり申候や、御めてたく候、…

「西上」とは何か?(その7)

そろそろ一区切りをつけないと先に進まない。だがこんだけ長々と書くのは、俺から見れば明らかにおかしいだろと思う「西上」の使用法を学者でさえ用いているからだ。学者に立ち向かうにはこんだけ説明してもまだ足りないのだろう。史料から「西上」その他の…

「西上」とは何か?(その6)

「西上」があるなら「東上」があり、また「西下」があって「東下」があるはずだ。 この中で一番有名なのは「東下」だろう。 都から東の方へ行くこと。京都から東国へ行くこと。あずまくだり(大辞林 第三版) では「西下」は?原理的にはありえるが、俺には…