2012-01-01から1年間の記事一覧

すれ違い議論あるある

友人AとBが俺に家にやってきた。 (その1) A「このお菓子甘くて美味しいから食べてみなよ」 俺「ごめん、辛いのは大好物なんだけれど甘いのは苦手なんだ」 A「こんなに美味しいものを食べないなんて理解できない。俺のことが嫌いだから食べないんだろ」 俺…

ユニコーンの巣

⇒痛いニュース(ノ∀`) : 北朝鮮考古学者 「ユニコーンの巣を発見した」 - ライブドアブログ 「ユニコーンの巣」とは何ぞ?そもそも東アジアにユニコーンは存在するのか?(もちろん正確には「ユニコーンの伝説」ということだが)。 あまりにも突飛すぎる。とい…

世論調査

去年まで10年以上住んでた時には世論調査の電話は一度もかかってこなかった。どこかの研究機関が封筒でアンケートをしてきたことが一度あったくらい。 ところが今住んでいるところでは、既に何度も世論調査の電話がかかってきている。 人口の関係なんだろう…

最低賃金廃止の素朴な疑問(つづき)

そもそも最低賃金を廃止するなどという主張は程度の差はあれ平等志向な左翼・リベラルからすれば到底受け入れられる話ではないだろう。だから、いくら最低賃金廃止のメリットを説いたところで、左翼・リベラルから転向するのなら別だけど左翼・リベラルであ…

最低賃金と竹中平蔵

石原代表は30日、自由報道協会主催の記者会見で、同党の衆院選公約に明記された解雇規制の緩和や最低賃金制の廃止について「知らない、なんて書いてあるの?」と述べ、公約内容を把握していないことを明らかにしました。 石原氏は、記者からこれらの政策を…

最低賃金廃止の素朴な疑問(その2)

最低賃金を廃止して生活に不足する分は公的に補うというのは、「負の所得税」の考えを採用したんだろう。 ⇒負の所得税 - Wikipedia 新自由主義者のミルトン・フリードマンが提唱しているんで新自由主義的な主張のように考えられているんだろうけれど、これを…

最低賃金廃止の素朴な疑問

⇒朝日新聞デジタル:「賃金足りない部分は公が面倒みる」橋下・維新代表代行 - 政治 ただ、賃金をもらって、あまりにも低すぎて生活できない部分は公が生活を保障してあげる。 時給が何円であっても最低賃金以下なら公的な支給を含めた手取りが同じというこ…

見えざる手

アダム・スミスの「見えざる手」とは何かが未だによくわからない。 人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこ…

(最近の)海外ミュージック・ビデオに出てくる日本とか日本人

⇒外国映画に出てくる日本とか日本人wwwwwwwwww : 腹筋崩壊ニュース に便乗して。 Martin Solveig & Dragonette ft. Idoling - Big In Japan DJ Fresh ft RaVaughn - 'The Feeling' Calvin Harris - Let's Go ft. Ne-Yo Alex Clare - Too Close Sel…

邪馬台国の女王 (その2)

さて本題の卑弥呼は「邪馬台国の女王」か「女王国の女王(倭国連合)」かということだけれど、 倉西裕子氏が 「邪馬台国の女王」と表現してしまいますと、卑弥呼は邪馬台国という一ヶ国の女王であったといったイメージを帯びてしまうことになり、多くの人々…

邪馬台国の女王

実は、彼女は、邪馬台国の女王ではありません!(と断言するのもなんですから、邪馬台国じゃないかもしれません、くらいにしましょう)例の魏志倭人伝には「卑弥呼=女王国の女王」とあって、「卑弥呼は邪馬台国の女王」とは書いていないんです。 ⇒邪馬台国…

超新説「卑弥呼は死んでない」(その2)

以上のことを踏まえた上で次に進む。 魏志倭人伝には次のように書かれている。 倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人 ⇒卑…

超新説「卑弥呼は死んでない」(その1)

歴史学的にはともかく邪馬台国論争は本能寺の変などと並ぶ日本史の人気テーマの一つである。 ただし古くから人気のあるテーマなので新説は出尽くした感がある。作ろうと思えば邪馬台国が南米にあったとか火星にあったとかいくらでも作れるけれど、それなりの…

クロカンとヤマカン

2014年の大河ドラマは『軍師官兵衛』だそうだ。黒田官兵衛については前々から気になっていることがある。 それは、官兵衛が片目だったという話。 1578(天正6)年には信長に叛旗を翻した荒木村重を説得すべく摂津有岡城に入ったものの、説得に失敗した上、城…

一品聖霊吉備津宮

後白河法皇の命で編まれた『梁塵秘抄』の中に「一品聖霊吉備津宮、新宮本宮内の宮、隼人崎、北や南の神客人、艮御崎(うしとらみさき)は恐ろしや」と詠まれている艮御崎とは温羅の魂の事であるという。ちなみに御崎とは御前神(みさきがみ:お使いの神)を…

大都会の善悪逆転史観

上の記事を書きたくなった理由は、昨日大都会の神社でおまつりがありまして、 ⇒御釜殿の再建400年祝う 岡山・吉備津神社 - 山陽新聞ニュース 記事にもあるように浅野温子さんによる「同神社に伝わる桃太郎の鬼退治伝説を脚色した物語」の「よみ語り」があ…

現代日本を蝕む○○史観

「自虐史観」だと思ったあなた。今日はその話じゃありません。 このブログでは日本の歴史研究に蔓延する「陰謀論史観」について何度も書いてきた。在野の研究者はもちろん専門家も安易に陰謀論を採用する。というか、こと歴史に関しては、在野の陰謀論は専門…

明智光秀のクジ引き

⇒信長公記(町田本・原文) より有名な愛宕百韻の記事。 次の日、廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣、一宿参籠致し、惟任日向守心持御座候や、神前へ参り、太郎坊の御前にて、二度三度まで鬮を取りたる由、申候、廿八日、西坊にて連歌興行、 発句 惟任日向守 …

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その16)

『建内記』の話の核心は「八幡神に聞く」というところにあるのではなかろうか? なぜ、足利義持の八幡宮で後継者を決めるクジをしたかといえば、八幡神が源氏の氏神だからだということは疑いない。幕府としては当然のことだろう。 しかし、公家社会には、別…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その15)

⇒2012-10-27の続きこれまでのまとめ。(1)クジ引きは八百長ではない。(2)「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という話は学者のいうような話ではなく「義円は凶」という話。ここまでは自信がある。 これからする話は大した根拠があるわけでもない推…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その14)

「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という情報は、状況から考えて「町の噂」のようなものではないだろう。一方幕府からのものだとも考えにくい。とすれば、万里小路時房の属する公家社会で生じた可能性が高いのではないかと思われる。 ところで俺の考…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その13)

⇒2012-10-26の続き「くじを三回引いたら三回とも義円と出た」という情報を万里小路時房に伝えたのは誰か?可能性としては、 1、武家伝奏の勧修寺経興が幕府からの情報をそのまま伝えた 2、武家伝奏の勧修寺経興が創作した 3、武家伝奏からの情報のように見え…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その11)

⇒2012-10-25の続き 以上の理由により、八百長など万に一つもありえない。それどころか、この話は八百長陰謀論者の考えているような話ですらない。 義円(足利義教)は「凶」であり、管領は望んでいなかったが、八幡神が頑なに義円を選ぶので受け入れざるをえ…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その12)

『建内記』の誤った情報について「デマ」と書いたが、「デマ」とは 《「デマゴギー」の略》 1 政治的な目的で、意図的に流す扇動的かつ虚偽の情報。 2 事実に反するうわさ。流言飛語。「人を中傷する―を飛ばす」 ⇒デマの意味 - 国語辞書 - goo辞書本来の意…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その10)

歴史学者の方々はどうか知らないが、クジを複数回引くと聞いて俺が思い浮かべるのは、漫画やアニメでおなじみのあのシーンだ。 初詣や夏祭りにグループで行った際におみくじを引く。 A「俺は小吉だった。B子ちゃんは?」 B子「私は大吉」 A「B子ちゃん…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その9)

⇒2012-10-24の続き 『建内記』で三番目にクジを引いた名無しさんは、上流社会において伝えられ、また記録される意義があるとは考えられなかった格下の人物であり、おそらくは管領畠山満家の従者であろう。 だが、なぜ足利義持の後継者を決めるクジを引くとい…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その8)

神前御棚の上に於て畠山入道これを執る。両度これを執る。青蓮院なり。次で他人をしてこれを執らしむるの処、また青蓮院なり。三ヶ度同前と云々。(建内記 正月一八日条) 三回目のクジを引いた「他人」という名無しさん何者なのか? 万里小路時房は「他人」…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その7)

⇒2012-10-23の続き 神前御棚の上に於て畠山入道これを執る。両度これを執る。青蓮院なり。次で他人をしてこれを執らしむるの処、また青蓮院なり。三ヶ度同前と云々。(正月一八日条)『籤引き将軍足利義教』(今谷明 講談社 2003) 『建内記』で三回目にクジ…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その6)

神前御棚の上に於て畠山入道これを執る。両度これを執る。青蓮院なり。次で他人をしてこれを執らしむるの処、また青蓮院なり。三ヶ度同前と云々。(正月一八日条)『籤引き将軍足利義教』(今谷明 講談社 2003) この『建内記』の記事は事実ではない。という…

将軍足利義教は八百長で決まったのか?(その5)

⇒2012-10-22の続き 昨日の記事を書き終えてから気付いたのだが、クジを三回引くことは実際にあったそうだ。 『新続古今和歌集』(しんしょくこきんわかしゅう)は、室町時代の勅撰集。二十一代集の最後にあたる。室町幕府第6代将軍足利義教の執奏により、後…