タカミムスヒ の検索結果:

アマテラスとタカミムスヒ (目次)

…おく。 アマテラスとタカミムスヒ(1) (2) (天岩戸神話のルーツは太陽が隠れる話。だが天岩戸神話で岩戸に隠れるアマテラスは太陽ではない。少なくとも明確に太陽だとわかる表現がない。アマテラスは「太陽のパートナー」であり、アマテラスが隠れると太陽も消えるという話に変化した。そうなったのは天孫降臨神話の影響) (3) (ヒルコは太陽神。だが多くの人が考えている「本来の太陽神」がアマテラスにその座を奪われたということではない。アマテラス=ヒルメは「太陽のパートナー」であり、太陽は…

アマテラスとタカミムスヒ(20) ヤマトタケルとヤマトヒメ

倭姫命(やまとひめのみこと。生薨年不明)は、記紀に伝える古墳時代以前の皇族。第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。伊勢の地に天照大神を祀った(現伊勢神宮)皇女とされ、これが斎宮の直接の起源であるとも伝えられている。 ⇒倭姫命 - Wikipedia ヤマトヒメは伊勢神宮の創始に関わる重要人物だ。当然アマテラス研究にとっても重要だと思うのだが、どうもそうではないらしい。『アマテラスの誕生』(溝口睦子 岩波新書)でも扱われていない。その他今まで見たものでも重視されていな…

アマテラスとタカミムスヒ(19) ヤマトタケルの太陽神的性格(その6)

…もそも「アマテラスとタカミムスヒ」の話をするはずなのに、なかなか話が進まないのには理由がある。それは現在の記紀神話研究が多数の重要な問題点を見落としているからだ。記紀神話研究の一部しか見ていないド素人がそんなこと言い切れるのかといえば、言い切れるものではないけれど、もしそれらの問題点を認識しているのならば片鱗くらいは見えてもいいはずではないか。しかし、そうは到底見えないのでほぼそうであろうと思っている。したがって一つのことを論じるにも、この部分は誰々が言及しているという形で省…

アマテラスとタカミムスヒ(18) ヤマトタケルの太陽神的性格(その5)

イザナキ・イザナミの神話の舞台「オノゴロ島」は東方にある。というのが前回の要約。「日神」「月神」、すなわち太陽と月が誕生し天に昇る場所として最も相応しい場所を考えれば、そう考えるのが当然すぎるほど当然なのだ(ところがざっと調べた限りでは学者がそんなことを考慮している形跡は見当たらないのである)。 では「オノゴロ島」は具体的にはどこにあったのかといえば、「オノゴロ島は神話上の存在であり実在しない」というのが究極の答えではある。しかしながら、これは高所から見たときの答えであって、…

アマテラスとタカミムスヒ(17) ヤマトタケルの太陽神的性格(その4)

ヤマトタケルは元々は太陽だった。というのが俺の仮説。 その根拠は何かといえばヤマトタケル伝説には「太陽神神話のカケラ」が存在するから。だが、あくまで「カケラ」であって記紀神話におけるヤマトタケル伝説は原型を留めぬほどに様変わりしている。それは記紀が成立した時代もしくはその直近に改竄されたのではなく、ヤマトタケル伝説の原型が相当古い時代のものであり、長い年月を経て変化したことを示唆していると思われる(あくまでヤマトタケルが太陽だったとした場合の話だが)。 さて、それを説明するの…

アマテラスとタカミムスヒ(16) ヤマトタケルの太陽神的性格(その3)

父の景行天皇天皇より東征(「東の方十二道の荒ぶる、またまつろはぬ人等を言向け和平せ」)を命じられたヤマトタケルはの行軍ルートは 伊勢→尾張→相模→(走水海)→蝦夷平定 →足柄→甲斐→信濃→尾張→息吹山→三重→能褒野で死去 ということになっている。行きのルートは西から東へであり、太陽の進行方向と逆であることは言うまでもない。 しかし、強引に解釈すれば、ヤマトタケルが最初に出現したのは「伊勢」である。 「伊勢」は「日出ずる処」に相応しい場所である。 『古事記』においてタケルの西征…

アマテラスとタカミムスヒ(15) ヤマトタケルの太陽神的性格(その2)

また間があいてしまった。なぜかといえば実のところ、これから書くことにはかなり無理があるから。ボツにしようかとも考えた。でもトンデモなのはいつものことだしやっぱ書くことにする。 ヤマトタケルの太陽神的性格というのはその行動ルートのこと。 オウス(ヤマトタケル)は父に恐れられ、都から遠ざけるために「西方」にいるクマソタケル征伐を命じられた。叔母のヤマトヒメに衣と裳を賜り剣を懐に入れて出征した。女装したオウスに殺される前にクマソタケルはオウスに名前を献じ、そのときからヤマトタケルと…

アマテラスとタカミムスヒ(14) ヤマトタケルの太陽神的性格(その1)

間が空いてしまったけれど再開。 前回はスサノオの太陽神的性格について書いた。スサノオは両親に追放された。これはアマテラス、ツクヨミ、ヒルコと共通しているが、アマテラス、ツクヨミが「優れているため」に地上に置いておくべきではないとされたのに対し、ヒルコ、スサノオは「三歳になっても足が立たなかった」「泣いてばかりいた」として追放されたという点に違いがある。そしてスサノオが常に泣いていると「国内の人民が多く死に、また青山が枯れた」というが、これは「日照り」のことで太陽を表現したもの…

アマテラスとタカミムスヒ(13) スサノオの太陽神的性格

『日本書紀』本文におけるイザナキ・イザナミ二神が産んだ「淡路島」「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノオ」「ヒルコ」は全て目的外の子であり、すなわち「失敗作」だ。最初の子作りに失敗したという神話は世界中に存在するけれど、これほど連続して失敗するという話は寡聞にして聞かない。 これをどう考えればよいのかといえば、大元の神話は「最初の子作りが失敗した」というものだったのが後に分かれて複数の子にこの要素が引き継がれたのだと考えるべきだろう。既に書いたことだが『日本書紀』本文における三貴…

何でもかんでも白村江のせい

…)。 ⇒アマテラスとタカミムスヒ(9)学者の国際感覚 と書いたばかいだけれど… でました白村江が原因説! ⇒645年→646年に変わった大化の改新に「そもそもなかった」説 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース ⇒はてなブックマーク - 645年→646年に変わった大化の改新に「そもそもなかった」説 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース また、孝徳天皇が営んだとされる前期難波宮は、近年の発掘調査で、もう少し後世の天武天皇の時代のものではないかと見…

アマテラスとタカミムスヒ(12) ヒルコの存在感が薄い理由(その4)

キリスト教と記紀神話の世界観の違いは何かといえば、すぐに思い浮かべるのは一神教と多神教ということだろうけれども、ここで問題にしたいのはそこではない。キリスト教(あるいはユダヤ経やイスラム教)は全世界さらには全宇宙を対象にしているのに対して記紀神話は「日本」という限定された地域のみを対象にしているということだ。 キリスト教等の神はこの世のありとあらゆるものを創造した。ということは現代の地理感覚でいえば五大陸は全て神の手によって創られたということだ。一方イザナキ・イザナミが創った…

アマテラスとタカミムスヒ(11)学者の国際感覚

学者は古代日本の研究において日本単独で考えるのではなく国際的な視点で考えなければならないと決まり文句のように言う。よくあるパターンとしては「従来はあまり議論されてこなかったけれども」的なことを言って発展途上の段階であることを断った上で、「神話」については朝鮮半島や北方ユーラシアの神話との関係や『日本書紀』編纂時の国際情勢、たとえば中国の皇帝との関係や白村江の敗戦の影響などを論じたりする。 もちろんそういう「国際的な視点」も重要ではある(ただし白村江の戦いについては、何でもかん…

アマテラスとタカミムスヒ(10) ヒルコの存在感が薄い理由(その3)

太陽神ヒルコの存在感が薄い理由、それは世界に太陽は一つしかないという単純な理由によるものだ。 記紀神話は「日本」の神話だ。国土の名は「葦原中国」とか「豊葦原千五百秋瑞穂国」などであり「日本」というのはその地を支配する王朝の名であり、記紀はその「日本」の成り立ちを記したものだ。 したがって「日本」に関わりのあることの他は範疇外なのだ。 イザナキ・イザナミが「国土」を創ったことは神話に記されている。しかし中国大陸がどのようにして生成したのかについては一切語っていない。「日本神話」…

アマテラスとタカミムスヒ(9) ヒルコの存在感が薄い理由(その2)

ヒルコの存在感は薄い。故に新しい太陽神アマテラスが本来の太陽神ヒルコの地位を襲ったのだと考えられているがそうではない。アマテラスは太陽神ではなくて「太陽のパートナー」である。太陽神は『日本書紀』の時点でも依然としてヒルコだ。記紀の時点で「日神=アマテラス」という説が存在したが、この「日神」は元は太陽神ではあったけれどアマテラスとみなされることによって太陽神の性格を失ったのだ。その穴を埋めるためにヒルコが必要だったのだ。すなわち本来の太陽神の痕跡が残っているというよりも、神話が…

アマテラスとタカミムスヒ(8) ヒルコの存在感が薄い理由(その1)

ヒルコは太陽神である。これは学者も指摘するところだけれども、多くの場合アマテラスを太陽神とみなしているのであり、つまりヒルコは「本来の太陽神」とみなしていると思われる。しかし、何度も書くがアマテラスは太陽そのものではなく「太陽のパートナー」である。多くの学者がアマテラスに巫女的性格があることを指摘しているが、にもかかわらず太陽神であることに固執している。 だが俺は『日本書紀』の時点でも太陽神はヒルコだったと思う。多少混乱はあるにしてもアマテラスは「太陽のパートナー」であって太…

アマテラスとタカミムスヒ(7) アマテラスの原型

アマテラスは太陽ではなく「太陽のパートナー」だ。天岩戸伝説はアマテラス(ヒルメ)が隠れたので太陽も消えたという話であり、神話には登場しないが太陽はヒルコである。 イザナキ・イザナミ二神が最初に生んだ子は目的に適わなかった「失敗作」だった。その子供が「日神」とされ、次に「日神」「月神」の双子に変化し、さらに「日神」「月神」「スサノオ」の三つ子となった。 そこにさらに「ヒルコ」「ヒルメ」の要素が加わったが、「日神=ヒルコ」では「ヒルメ」を挿入することが困難だった。一方、天岩戸神話…

アマテラスとタカミムスヒ(6) ヒルコの誕生

イザナキ・イザナミ二神が産んだ「日神」「月神」「ヒルコ」「スサノオ」「淡路島」は全て二神の目的に適わなかった「失敗作」だ。このうち「日神」「月神」「ヒルコ」「スサノオ」は放棄されるという共通点を持っている。 しかし、神が何度も失敗するというのは不自然な話であり、本来は一度だけ失敗したという話だったはずだ。というか『日本書紀』においても「淡路島」とそれ以外の話は切り離されているし、「日神」「月神」は失敗作というより優秀作ではある 「日神」「月神」が優秀作であっても目的外であるこ…

アマテラスとタカミムスヒ(5) 日神とアマテラス

『日本書紀』「第五段本文」を素直に読めばイザナキ・イザナミ二神は「天下の主」を生もうとしたが失敗したということになる。「日神」「月神」「ヒルコ」「スサノオ」は全て目的と違うものを生んでしまった「失敗作」なのだ。 しかし、ここでいう「日神」は「一書」に「アマテラスオオミカミ」「アマテラスオオヒルメノミコト」と云うとはあるけれど、あくまでそれは「一書」であり、真っ先に書かれている名前は「日神」であり、つまりこれが正式名称なのだ。 歴史学者は『日本書紀』から政治的な意図を読み取るこ…

アマテラスとタカミムスヒ(4) 失敗した子作り

ヒルコの出生について『日本書紀』本文は以下のように記す 《第五段本文》次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姫。亦名野槌。既而伊弉諾尊。伊弉冊尊共議曰。吾已生大八洲国及山川草木。何不生天下之主者歟。於是共生日神。号大日〓貴。〈大日〓貴。此云於保比屡〓[口+羊]能武智。〓音力丁反。一書云。天照大神。一書云。天照大日〓尊。〉此子光華明彩。照徹於六合之内。故二神喜曰。吾息雖多。未有若此霊異之児。不宜久留此国。自当早送于天、而授以天上之事。是時天地相去未遠。故以天柱、…

アマテラスとタカミムスヒ(3) 太陽神ヒルコ

『日本書紀』の天岩戸神話の原型が「太陽が隠れる神話」だったことは間違いない。しかし『日本書紀』におけおけるアマテラスは太陽ではなく「太陽のパートナー」だ。アマテラスが隠れることにより太陽もまた隠れたのだと解釈すべきだ。 だが、アマテラスが太陽ではないとすると天岩戸伝説に太陽が直接描写されていないことになる。神話の主役はアマテラスであり、太陽は重要な役割があるにもかかわらず脇役としてすら登場しない。 これをどう解釈すべきか。 原型の神話では主役は太陽だったということは、太陽だっ…

アマテラスとタカミムスヒ(2) アマテラスは「太陽神」ではない

アマテラスは元々は太陽そのものだったが『日本書紀』におけるアマテラスは太陽神ではないというのが俺の推論。なおここでの「太陽神」とは「太陽を神格化した神」という意味。太陽ではないけれど「太陽神」と呼ばれる例もあり、そういう意味では『日本書紀』でもアマテラスは太陽神ではあるけれどややこしくなるので「太陽神ではない」ということにしておく。 また、太陽神だった時の「アマテラス」が「アマテラス」という名だったかはわからない。アマテラスが太陽神だというのが歴史学者の大方の共通認識だけれど…

アマテラスとタカミムスヒ(1) 系統の異なる神話の結合

…おける命令者の位置がタカミムスヒからアマテラスに置き換わったということだ。だから実態はアマテラスの「天孫降臨神話」への侵略である。併合か侵略かというどこかで聞いたような話だが、これは結構重要な話だと思うのである。これを「結合(岡正雄)」とか「神話の一元化(溝口氏)」というのは、そこに重要な問題点があることに気付いていないからであろう。 (なお溝口説によれば大王系の神話がタカミムスヒ神話であり、地方豪族の神話がアマテラス神話なのであり、その「一元化」の主導者は天皇である。つまり…

本来の「皇祖神」はアマテラスでもタカミムスヒでもない

⇒タカミムスヒからアマテラスへという戦後知識人の妄想 は人気ブログへの言及でブログ主さんが反応したこともあり反響が多少あった。 タイトルにもあるように俺は「タカミムスヒからアマテラスへ」というのは妄想だと思っている。ところが、その後俺が書いていることも「タカミムスヒからアマテラスへ」だ。だもんで同じじゃないかと誤解される向きもあるかと思われるがそうではない(俺の書き方が悪かったんだが)。 学者が言っているのは「本来の皇祖神はタカミムスヒだったのだがアマテラスに置き換わった(置…

なんでもかんでも陰謀にしたがる戦後歴史学

…う。 『日本書紀』はタカミムスヒを皇祖としているのだ。すなわち大和朝廷の意思は「タカミムスヒが主神」だというのが常識的な考えというものだろう。ところが大和朝廷は皇祖神をタカミムスヒからアマテラスへと転換させようと天武期以来画策していたという。そんなバカなことがありえるだろうか?もちろん大抵の陰謀論がそうであるように絶対に無いとは言い切れない。しかし圧倒的に可能性が高いのは陰謀などなかったということだ。 『日本書紀』は言ってみれば大和朝廷のバイブルだ。そこでタカミムスヒが皇祖だ…

岡正雄のタカミムスヒ論

…れたために、天皇族の文化は逆に先住族の文化に吸収された。皇室の祖は本来タカミムスビであったものが、アマテラスを神とする先住民の文化の浸透で祖神とされるようになった。 ということであり、タカミムスヒが本来の皇祖神といっても、溝口睦子氏の説とは大いに異なるものでありました。こちらは説得力があると思う。少なくとも溝口説にあるような陰謀論的性格もないし、奇抜な思考もしていない。 俺には俺の考えがあってこれで納得できるというわけではないけれど、近いところもあるし参考になるところもある。

Kousyoublogにお答えして

⇒タカミムスヒ→アマテラス論の古事記日本書紀でのズレについて | Kousyoublog私、溝口睦子氏の『アマテラスの誕生』は既に読んでおりまして、それについて記事も書いております。 『アマテラスの誕生』には次のように書いてあります。 七世紀末、律令国家の成立に向けて、強力に改革を推し進める天武天皇は、一方で歴史書の編纂を命じて、新しい中央集権国家を支えるイデオロギーとしての、神話の一元化をはかった。そのとき、皇祖神=国家神として選び取られたのは、それまでずっと皇祖神の地位に…

古代史学者が見ているのは古代ではなく戦前である

…降臨を命じたのは皇祖タカミムスヒと明記してあるのだ。一書にはアマテラスとあるが本文の方が優位にあると考えるのが常識的な考えというものだろう。ちなみに『古事記』には「高御産巣日神・天照大御神」とある。『古事記』が何のために書かれたのかは不明だが政治的に重要だったのが『日本書紀』であり、その中でも「本文」であるというのも常識的な考えだろう。改竄したというが、それが可能ならなぜ「本文」を改竄しなかったのだ?したがってそれがアマテラスだという考えが主流となったの後の時代のことと考える…

タカミムスヒからアマテラスへという戦後知識人の妄想

…の七世紀頃に国家神がタカミムスヒからアマテラスへと転換したというものだ。では、その転換は何故起きたのか、そして何故アマテラスが選ばれたのか?答えは勿論「わからない」である。 現代人(特に進歩的な人)には「聖徳太子はいなかった」とか「アマテラスではなくタカミムスヒが皇祖神だった」とかいった話が受け入れられやすいのだろう。戦前・戦中の思想を否定して「われわれは変わったのだ」という感覚になれるし。 だが俺には「タカミムスヒ→アマテラス」説は、とても重要なことをスルーしているとしか思…

『将門記』託宣のド素人の素朴な疑問(その6)

…、したがって朝廷への叛逆の意思をもって将門に皇位を授けることに関わったのではなく、単純に八幡大菩薩の臣として振る舞っているだけではなかろうか? すなわちこれは将門王朝における天壌無窮の神勅であり、八幡大菩薩と菅原道真を天孫降臨におけるタカミムスヒとアマテラスになぞらえているのであり、それ以上の意味は無いのではなかろうか? 将門の目的は王朝を立てることであり、京都の王朝を倒すことではない(結局は同じかもしれないが)。 これについてはもっと深く深く考えてみる必要があると思われる。

敵と味方

…降臨の本来の司令神はタカミムスヒでありアマテラスはあとからその地位についたというのが「研究者の共通認識」だという話にも疑問が出てきたというのがきっかけ。 ところが、その「研究者の共通認識」とは違ってアマテラスが先でタカミムスヒが後だと主張している研究者がいるらしいとの情報を得た。 その研究者とは誰あろう、あの大山(聖徳太子はいなかった)誠一氏なのであった。俺は陰謀論たっぷりの大山説を支持しない。この手の陰謀論が大手を振ってまかり通っているから今の歴史学はだめなんだとさえ思って…