2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

『真書太閤記』の類話(その1)

今回は『真書太閤記』の類話について。 『真書太閤記』と『弁慶物語』の比較(近代デジタルライブラリーを参考にした) ○出生編 『真書太閤記』 妻も気の毒に思い、なにとぞして男子一人授け給えと同村に鎮座ある日吉権現の社へ祈願を籠。夫に隠して日参怠り…

『太閤素性記』の類話(その9)

『太閤素性記』の類話(その8)の続き。 『太閤素性記』は歴史家が言うほど信用できるのか? 今まで書いてきた通り、『太閤素性記』の若き日の豊臣秀吉が家を出て浜松に行き、故郷に帰り織田信長に仕えたところまでの太閤伝説は、伝説的要素に満ち満ちており…

『太閤素性記』の類話(その8)

『太閤素性記』の類話(その7)の続き。 藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社)より。 石井氏は、秀吉の親類縁者には、表のように遍歴を繰り返す商人や職人が多かったこと、青年時代には彼自身も針の行商をしながら今川氏への奉公をめざしたことに着目…

『太閤素性記』の類話(その7)

『太閤素性記』の類話(その6)の続き。 ところで『太閤素性記』を読むと、秀吉のことを「猿」「猿」と呼んでいる。幼名が「猿」なんだから当たり前といえば当たり前だが、これを伝説として見た場合、秀吉が「猿」なのは、猿に似ているからではなくて猿その…

『太閤素性記』の類話(その6)

『太閤素性記』の類話(その5)の続き。 ところで、「灰坊(民話想)」を見ると「灰坊」の話には馬が出てくる。ネットでその他の「灰坊」も見てみると馬が登場する話が多い。シンデレラにも魔法の馬車が登場するけれど関係あるのかわからない。しかし日本の…

『太閤素性記』の類話(その5)

『太閤素性記』の類話(その4)の続き。 ところで『太閤素性記』の「猿(秀吉)」と「飯尾豊前の娘」のエピソードの部分。 それより浜松へ連れ行く。豊前に対し加兵衛が云う。道にて異形成る者を見付けたり。猿かと見れば人、人かと見れば猿なり。御覧あれと…

『太閤素性記』の類話(その10)

『太閤素性記』の類話(その9)の続き。 今日中に『太閤素性記』の検証は終わりにしたいと思ってる。 『太閤素性記』の豊臣秀吉が家を出て織田信長に仕える話は信用できないというのが俺の結論。それでは、それ以外の記事は信用できるのか。 結局のところ、…

『太閤素性記』の類話(その4)

『太閤素性記』の類話(その3)の続き。 「灰坊」伝説は日本各地に伝わり、バリエーションも豊富だ。詳しくは、 ⇒シンデレラの環(民話想) ⇒灰坊(民話想) を参照のこと。 その中でもかなり太閤伝説と似ているのが「猫の面」という話。 ⇒猫の面(民話想) …

『太閤素性記』の類話(その3)

『太閤素性記』の類話(その2)の続き。 『太閤素性記』の物語要素とそっくりな超有名な話とは、いうまでもなく「シンデレラ」だ。 シンデレラの父は後妻を娶った。シンデレラには二人の義姉がいた。シンデレラは舞踏会に着ていく服がなかった。シンデレラは…

『太閤素性記』の類話(その2)

『太閤素性記』の類話(その1)の続き。 『太閤素性記』の物語要素。 (1)秀吉が幼い時に実父が死に母は再婚。義理の弟妹がいる。 秀吉八歳ノ時父弥右衛門死去。 木下弥右衛門後家秀吉母ノ方へ入ヽ。其後男子一人女子一人秀吉ト種替リノ子ヲ持ツ。 (2)秀…

物語の類似性

昨日書いた『太閤素性記』の類話(その1)で、『豊臣秀吉』(小和田哲男 中公新書)に書いてある また、松田氏は、「若が絶望の目でうち眺めた琵琶の湖(近江)は、疲労のはての幼い秀吉が眺めたであろう浜名の湖(遠江)に通う」と指摘し、近江の琵琶湖と遠…

秀吉は義父にいじめられたのか

正確に言えば「『太閤素性記』における豊臣秀吉は子供の頃に義父から虐待を受けたのか」という問題。なぜ『太閤素性記』に限定するのかといえば、現実と物語世界を区別する必要があるから。 現実世界で考えるなら、虐待されたという証拠がないからといって虐…

歴史学と科学

「歴史は科学か」という話はわりと良く見かける。難しいことはわからないけれど、「歴史学は科学だ」という主張にも一理あると思う。 でも、歴史学が科学たりえるとしても、現実の歴史学が科学的であるかというと話は別。 「歴史学って超ゆるくないか?」っ…

『太閤素性記』の類話(その1)

『太閤素性記』と説教節の「愛護の若」の類似性について松田修氏が指摘しているという話を上に書いた。 太閤伝説に似ているといえば似ているけれど、『太閤素性記』と似ているかというと、実のところほとんど似ていない。正直どこが似ているのか理解に苦しむ…

小和田哲男氏が『太閤素性記』を信用する理由

上の記事を書いたきっかけは、小和田哲男『豊臣秀吉』(中公新書)に以下のようなことが書いてあったからだ。 私は、民間伝承や民間説話のなかにこそ、むしろ、秀吉におもねった大村由己の皇胤説や、小瀬甫庵の創作よりも真の秀吉出自が語られているように考…

「神話・伝説」に史実は含まれているのか?

他に信頼できる史料があるなら、それと比較してみればいいわけだけれど、それが無い場合、神話や伝説の中に真実が含まれているのか否かどうやって確認すればいいのだろう? 俺は無理っぽく感じる。 特に神話・伝説に含まれている事柄が真実である可能性が高…

脅迫電話の思ひ出

⇒電話で脅された思い出: 極東ブログ 久しぶりに極東ブログ見た。だって、俺もつい先月そんな電話があったから。というか今もかかってきてるのかもしれないが全部留守番電話扱いにしてるので、わからない。 最近のは手が込んでいる。最初は勧誘ですらなかった…

豊臣秀吉の誕生日(その5)

豊臣秀吉の誕生日(その4)の続き。 ところで、藤田達生氏は、 今度は、生母なかが懐に太陽が入って受胎する夢をみて、日吉山王権現の申し子として秀吉を産んだとする創作だった。天文五年の「元日」に生まれたという話も、この説をより効果的に演出するため…

豊臣秀吉の誕生日(その4)

豊臣秀吉の誕生日(その3)の続き。 ところで根本的な疑問なのだが、豊臣秀吉が下賤の出自だとはよく言われることだ。藤田達生氏も、 このように二人の碩学は、秀吉が伝えられているような百姓の倅ではなく、差別を受け遍歴を繰り返す非農業民に出自をもつこ…

豊臣秀吉の誕生日(その3)

豊臣秀吉の誕生日(その2)の続き。 『聖徳太子伝暦』は、太子の母は欽明天皇32年辛卯正月朔甲子の夜、金色僧の夢を見て懐妊し、敏達天皇元年正月一日に太子を産んだとする。妊娠期間は12ヶ月だ。 一方、豊臣秀吉が母の胎内にいた期間は、『太閤素性記』は天…

豊臣秀吉の誕生日(その2)

豊臣秀吉の誕生日の続き。 豊臣秀吉が天文5年(1536)申年の正月元日に生まれたと記すのは『太閤素性記』『絵本太閤記』『真書太閤記』。一方、天文5年(1537)2月6日に生まれたと記すのは『関白任官記』。 秀吉の誕生日については、かつて桑田忠親氏が、「…

豊臣秀吉の誕生日

藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書)より 以前、子ども用の「歴史カレンダー」を見ていて吹き出したことがある。秀吉の誕生日を、天文五年(一五三六)の「元日」としているのである。 何が面白くて吹きだしたのか、笑いのツボがわからない…

藤田達生「秀吉神話をくつがえす」

今日、図書館で『秀吉神話をくつがえす』(藤田達生 講談社現代新書)借りてきた。 まだ、一部しか読んでないんだけど。 「秀吉神話をくつがえす」ってタイトルから、現在の通説を覆すのかと思ってたら、そうではなくて、どうやら「歴史小説や時代劇などを通…

もう一人の「日吉丸」(その2)

もう一人の「日吉丸」の続き。 慈恵大師良源の幼名は「日吉丸」で母は日輪が懐中に入る夢を見て懐妊した。 これは『江州浅井郡三河村慈恵大師縁起』という史料に載っているそうだ。 良源の母の名は月子女であり、仁和三年(八八七)誕生となる。こののち成人…

もう一人の「日吉丸」

豊臣秀吉と「猿」(その4)の続き。 前の記事で、 歴史家は気付いていないかもしれないけれど「猿・日吉」と「日輪懐胎伝説」には宗教的に密接な関係がある。 と書いた。そのことについて。 豊臣秀吉に言及したものは世の中に山ほどあるけれど、なぜか(おそ…

最近ページビューが増えた気がする

ちゃんと計算してるわけじゃないけれど、最近ページビューが増えている。今年になってからずっと日本史関係のことばっかり書いているんで、減るんじゃないかと予想してた(RSSリーダーの読者は実際減ってる)。けれど嬉しい誤算。 今まで日本史関係のこと…

豊臣秀吉と「猿」(その4)

豊臣秀吉と「猿」(その3)の続き。 豊臣秀吉と「猿」の問題は秀吉研究にとってとても大きな問題だと思う。これをどう考えるかによって秀吉観は大きく変ってくるだろう。秀吉関連の本には必ずといっていいほど取り上げられているものの、本格的に論じられて…

豊臣秀吉と「猿」(その3)

豊臣秀吉と「猿」(その2)の続き。 桑田忠親『豊臣秀吉』(角川文庫)に『太閤素性記』の記述を元にして、、 こうなっては、太閤様も、まったく形なしだ。−猿かと思えば人、人かと思えば猿−では、ちょっとひどすぎる。が、秀吉にとってみれば、その猿面のた…

豊臣秀吉と「猿」(その2)

豊臣秀吉と「猿」(その1)の続き 豊臣秀吉が信長家臣時代に「猿」と呼ばれていた「証拠」とされるのが、 猿帰候て、夜前之様子具言上候、先以可然候、 又一□を差遣候、其面無油断雖相聞候、猶以可入勢候、 各辛労令察候、今日之趣徳□ニ可申越候也、 ⇒「猿」…

豊臣秀吉と「猿」(その1)

豊臣秀吉が出てくるテレビドラマを見ると、織田信長や織田家中の人物が秀吉のことを「猿」と呼んでいる場面が良く出てくる。今期の大河でも呼んでたと思う。 ところが、『真書太閤記』や『絵本太閤記』によれば、秀吉は幼い頃に「猿之助」と近隣の者に呼ばれ…